院長の徒然コラム

院長 原田 直太郎

院長のあいさつ

このたびは、ホームページをご覧くださり、誠にありがとうございます。 

当院は、これまで微力ではありますが、診療所として約100年近く地域の皆様の健康に貢献できるよう努力してまいりました。

今後も地域のかかりつけ医として、これまでの経験を生かしつつ、更に医療技術の日進月歩の進歩に対応できるように病院と連携し、地域医療の担い手として微力ながら皆様へより良い医療をご提供できるよう、日々努力を重ねてまいります。

院長 原田 直太郎

院長の徒然コラム

「初めての鎌倉」(令和6年4月)

先月、三男が初めての娘を授かったので、横浜へ会いに行ってきました。

ちょうど1か月で見させてもらい、夫婦の奮闘ぶりがよくわかり、楽しい時をすごしてきました。

翌日は横浜から横須賀線に乗って、初めて鎌倉を訪れました。

まず鶴岡八幡宮にお参りをして、小町通りでいろんな店をみた後、北鎌倉へ電車で移動。

円覚寺を尋ねました。

広大な敷地の中で、静かに佇む禅宗のお寺です。

枯山水の庭に佇み、しばし慌ただしい日常を忘れました。

初めて行った鎌倉でしたが、とても気に入りました。

多くの文豪が好んで住まれたのもわかるような気がしました。

お寺と町がすっぽりとはまっていて、穏やかになるのです

いろんな食べ物もおいしくて比較的安価でした。

横浜や東京への便も良くて、住むにはとてもいいところだと感じました。

武士が禅宗を好んで信心したのが少し理解できたように思います。


ただ旅行中、わたくし自身の忘れ物が多く、せっかく買ったお土産をトイレに置き忘れたため何回も往復して疲れ果て、翌日の診療には結構きついものがありました。

こんな状態で、念願のフランスやイギリスへ行くことができるだろうか?と不安になりました。

日本の中にまだまだ訪ねてないところがいっぱいあるので、予行練習のため日本各地を旅して、それから海外へというのがよいのかもしれません。

(4月3日記)

「別れの時」(令和6年3月)

3月に入っても寒い日が続いていますが、近くの花桃が少しずつ膨らみかけてきた今日この頃です。

ここ1か月以内に私たちのグループホーム(認知症患者の施設)に入所していた認知症の患者さん2人が亡くなられました。

コロナ感染以後呼吸器の状態は改善してきたのですが、食べられなくなり点滴をしたりしていました。

二人ともアルツハイマー型認知症があり、感染前から食欲はなくなってきたのですが、さらに食べられなくなっていました。

かなり脱水時状態で感染したので状態は悪化しました。

最後の数日は家族が寄り添って亡くなられていきました。

家族にとっては貴重な時間を過ごせられたのではないかと思います。

意識もかなり低下した状態でも、同じグループホームで生活した入所者さんが声をかけると涙を浮かべて反応していました。

やはり認知症があっても、感情は残っていることを感じました。

家族に1日でも長く生かせてあげたいという希望があったので、最後まで点滴をしていました。

以前は病床をもっていて、診療所で亡くなられたことも多くありましたが、グループホームでの看取りは本当に家族的です。

家族の方への協力依頼もあり、本当見守られながらの看取りとなりました。


有床診療所時代の忘れられない1例があります。

在宅療養していて最後入院して診てあげることになりましたが、入院して1週間ぐらいで突然に夜間12時ごろ亡くなられました。

家族は間に合わなかったため、家族に非難され、死に目に会えないことを非常に残念に思っていたのです。

状態の変化を事前に見抜けなかった責任です。

家族が看取ってあげて亡くなられるのと、一人でさみしく亡くなられたのでは雲泥の差があります。

医療側としては、できるだけ十分に説明して家族に納得してもらえることがとても重要です。

状態報告も、家族も動転してしまって、説明に理解ができないこともあるので頻回の説明が必要です。

「御苦労さま」と言ってあげられる関係を築くことが必要ですね。

死は医療側にとって決して敗北ではないと思います。

どんな仕事でもコミニュケーションが一番重要と考えます。

また新たな出会いがあることを楽しみながら、働いていきたいですね。

(3月9日記)

「おすすめ!夜と霧」(令和6年2月)

朝夕の寒さは続いています。

こんな寒さの中で避難所の生活をしておられる能登半島の人々は本当に大変ですね。

最近読んだ「夜と霧」という本を紹介したいと思います。

ビクトール・フランクルさんが第2次世界大戦後に書かれました。

原題は「心理学者の収容所での経験」という題で、初版は1956年ごろ日本語訳で出版されました。

新版として2002年に池田香代子さんの訳でみすず書房から出ました。

戦時中、ウイーン大学精神医学を学び、心理学者として生活していた著者は、ユダヤ人という理由で強制収容所に送られました。

両親、妻を亡くされて、かろうじて生き残った記録です。

収容所から毎日ガス室へおくられる恐怖と闘いながら、ほかの人を勇気づけ生き、そして最後の解放されたとき収容所の所長の釈放をお願いしたそうです

ユダヤ人という言葉がほとんど出てこなくて、収容所の中には同性愛者や、ジプシーも収容されていたそうです。

フランクルさんの体験を読むと、すごく生きている喜びが感じられて勇気が湧いてきます。


現在イスラエルとアラブとの戦いが続いていますが、その戦いがとても意味のないことであることも教えてくれます。

とにかく生きる重要性があふれています。

立場の異なる他者同士が許しあい、尊厳を認め合うことの重要性を訴えています。

「人間とはガス室を発明した存在だ。しかし同時にガス室に入っても、毅然として祈りの言葉を口にする存在でもある」といっています。

ナチスのために多くの人々が殺害されたのですが、その憎しみも出さず、生きることの大切さが伝わってきます。

日本人の戦争体験記を読むととても後ろめたい気持ちになりますが、そういった感情を捨てて生きることの重要さが伝わりました。

著者はすごい人であると感じます。幅の広さ、暖かさをこれほど感じた本はありませんでした。

ぜひとも多くの人に読んでもらいたい本です。今年の初めに書店で見つけて買ったのですが、なんと40刷でとても売れている本でした。

(2月1日記)

「強運をつかむ習慣」(令和6年1月)

新年あけましておめでとうございます。

元旦から大災害が起こり、日本中が大変なこととなりました。

被災者の方には、本当にお気の毒で、微力ながら復興に協力させていただきます。


先日ある雑誌を読んでいたら、精神科医からの提言で「強運をつかむそして願望成就の習慣」として7つの心構えがあげられていました。

まず睡眠は7時間以上取ること、朝の散歩、適度な運動です、3番目は悪口を言わない。

4番目は神社へ参拝する。

トイレ掃除をすること。3行日記を書くこと。

そして笑顔でいることを挙げていました。

皆すぐにでも実行できそうなことばかりです。

確かにいろんな出来事をポジティブのとらえることはとても重要で、ポジティブな日記を書くことが気分転換になります。

神社へ行くのは絶えず感謝の気持ちをもって生活することの重要性を教えてくれます。

トイレの乱れは心の余裕があるときしか気づかないようです。

毎日が忙しくても絶えず時間を見つけて、自分をふりかえり、良い方向へ考えを持っていき、絶えず感謝の気持ちを忘れない。

朝の散歩はできませんが、運動には心がけるようにしています。

この7つの習慣は、簡単なことばかりですが、実行することが難しいのです。毎日の生活で思い出すことが重要ですね。


今年の正月の3が日はとても忙しかったのですが充実感があり、疲れはあまり感じませんでした。

医療の世界は決して楽しいことばかりの世界ではありませんが、いろんなことを考えさせてくれる、面白い環境にあると思います。

また今年も体に気を付けて楽しく働いていきたいですね。

(112日記)

「今年を振り返って」(令和5年12月)

今年、2023年も残すところ2週間余となりました。

楽しかったこと、悲しかったこといろいろありました。

もっとも悲しかったことは、若き従業員の死です。

彼女はよく働き、とても有能で性格もとても良い子でした。

4か月以上の闘病生活で、骨髄移植をうけられたのですが、残念ながら帰らぬ人となりました。

外泊中は必ず、回り道をしながら当院の前を通って帰ったそうです。

埋葬の棺には当院のユニホームを入れられたそうで、ほんとうに復職したがっていました。

ありがたいことです。

年を取られてなくなられたかたもたくさんいますが、若い人が亡くなられるのには本当に残念ですね。

改めて日常診療は、真剣勝負で取り掛からないと思います。


楽しかったことは、2泊3日の台湾旅行でした。

料理が本当おいしくて日本人に合った中華料理で、ビールもとてもおいしかったです。

また行きたいと思うところです。

昔日本の領土であったところですので、日本人に対してはとても親日的でした。

台湾の政治事情の生の声も聞け、面白い旅でした。

台湾は台湾として進んでいけたらと思います。

また1泊の家康ツアーも昔の仲間と行けて楽しいときを過すことができた旅でした

遠くへ行かなくても近くにも面白いとこらはたくさんありますね。

来年は2月には3男の娘が生まれるので横浜まで会いに行くのが楽しみです。

そのためにも足腰を鍛えて、体調を整えていきたいですね。

(12月17日記)

「久しぶりの三河の会」(令和5年11月)

大学病院時代の先輩、後輩たちと3年ぶりに再会しました。

総勢10名で一人以外はわたくしと同じ開業医です。

コロナ禍のため中止となっていましたが、もともとはお世話になった大学の教授夫妻を三河の地へご招待して近くの山に登山したのが始まりでした。

その後順番に幹事が変わり、いろんな場所に行くことができました。

今回は豊橋の後輩が幹事で、岡崎となりました。

岡崎のホテルに集合して宴会。

その後は別室で3時間ほどいろんな話題で盛り上がりました。

新入会員が2人いましたのでその人たちを中心として話が続き、楽しい時を過ごすことができました。

翌日は岡崎公園にある「どうする家康岡崎ドラマ館」を楽しみました。

普段から大河ドラマは興味を持ってみていましたが、登場人物がはっきりしないところがあったので、関係性がよくわかり面白い企画でした。

その後、有名な八丁みその工場に行き、みそに関連したお土産を買いました。

家康ゆかりの「大樹寺」を訪れ、徳川時代の15代将軍たちの位牌を見せていただきました。

300年続いた江戸時代は鎖国のため外国からの侵入もなく、日本独自の文化が育てはぐくまれたのです。

近くにあった歴史的建造物を実際見てみて、非常に面白いところがあることを知りました。

わずか24時間でいろんな経験ができ楽しい小旅行でした。

もとはといえばとても人望があった教授を中心とした仲間ですので、若かりしときの無茶な行動も思い出され、はずかしいやら照れ臭いような感情になりました。


大学の医局制度はとかく非難されましたが、教授を中心として、苦労して勢力を拡大し、成長していくような集まりだったので、大名行列と言われた教授回診、大学時代の症例検討会など走馬灯のように思い出されました。

やはり時代とともに医療は変化してきているのですが、人間として本質は、威張らず絶えず他人の気持ちを考えてあげ、「和をもって貴しとなす」という論語の中にある言葉通り、私たち内科医の根本を改めて考えさせてくれる集まりでした。

(11月15日記)


「はじめてのコロナ体験」(令和5年10月)

今までインフルエンザに罹ったことはなく、「私はコロナやインフルにはかかりません」と変な自信を持っていましたがついに、コロナに感染してしまいました。

日曜日の午前中にのどの違和感を覚え、翌日36.8℃。

抗原を調べましたが陰性。その日は祝日だったため、一日中家で休んでいました。

翌日更に喉の痛みが強くなり再度検査したところコロナ抗原陽性でした。

発熱38℃で倦怠感が強く、歩行時もふらつきがあり。

すぐに従業員に連絡して休ませてもらいました。

3日間は熱が続きましたが、その後は倦怠感と食欲不振でした。

3年間あれだけやっていたのに感染しませんでしたが、今回は失敗です。

患者さんの気持ちがよくわかりました。

何もせずひたすら5日間寝ているのも、苦しいものですね。


療養中は以前から読みたかった加藤陽子さんの「それでも日本は戦争の道を選んだ」という本を読みました。

昭和初期から、日清戦争、日露戦争、満州事変、太平洋戦争へと激動の時期を、詳しく高校生を前に説明して、討論しています。

明治、大正、昭和の日本の政治のやり方、仕組みがよくわかり初めて知ったことが多くありました。

加藤さんは東京大学文学部教授で普段は大学生に講義しているのですが、今回の企画は歴史に興味を持っている名門私立高校の高校生を前に講義した記録です。

高校生の鋭い質問が時々出てきて、あたかも講演を一緒に聞いているかのような雰囲気で読めました。

かなりの長編ですが、コロナ渦での与えられた時間で読破できました。

日本という国を考えると、過去にアジアの人々や、アメリカの人々にとんでもないことをしてきたのですね。

あまりロシアばかりを非難できません。

今の高校生はこう言った内容を習うのでしょうか?

ぜひとも高校生に読んでもらいたい本、いや教科書です。

(10月5日記)


「戦争から学ぶもの」(令和5年9月)

8月から徐々にコロナ感染した患者さんが増えてきて、まさに9月になって今までで一番の感染者数といった今日この頃です。

今年は以前に増して「戦争と平和」を考えさせられた熱い夏でした。

そんな中で、大岡昇平さんの「野火」を読みました。

びっくりするような、本当の戦記でした。

大岡昇平さんは、兵隊としてフィリピンに行ったのですが肺結核のため病院へ入院、退院後部隊に戻ろうとしましたが、帰国するように言われました。

再び病院へ行こうとして山の中をさまよって、いろんなできごとがあり、地域住民の女性を殺してしまいます。

密林の中をさまよう情景がとても哲学的な文章で書かれていて、とても感動しました。

米軍の病院へ入院後、帰国することができましたが、帰国後再び精神病院に入院しています。

水木しげるさんの「ラバウル戦記」も面白い本でしたが、「野火」は鮮烈でした。

戦争の恐ろしさを伝える最高の教育本ではないでしょうか?

やはり子供たち、若い人たちへ戦争の悲惨さ、異常と思える凶暴性を教えられる本だと思います。

文章が生々しいのです。

すごい私小説だと思います。


わたくしの父親は軍医で南方へ行っていましたが、決して戦争中のことを話すことはありませんでした。

今思うと残念です。

大岡さんのすごさはそれを克明に描写して発表しているところですね。

小説家としての才能、努力が実を結び発表できたのです。

やはり戦争はすべきものではありません。

「不戦」を第一に考えるべきだと改めて思いました。

9月9日記)

「幼馴染の死」(令和5年8月)

先日、幼馴染の友人が胃腫瘍のために亡くなられました。

胃腫瘍でも荻原健一さん(ショーケン)とおなじ粘膜下腫瘍という型で、薬剤による治療効果が比較的良いものです。

彼は10年前に退職後、両親の面倒を見るために田舎に帰ってきました。

小学校を出た後、おじいさんの住む東京へ行き、大学を出て神奈川県に住んでいました。

7年前に胃腫瘍が見つかり、すでに肝臓へ転移していました。

手術はできず薬物療法が始まりました。

経口薬がかなり効果あり腫瘍は小さくなり、しかし薬はやめられないので続けていましたが、副作用で苦しんでいた時もありました。

1年前に腰部脊柱管狭窄症のため歩行ができなくなりました。

車いすの状態となり、好きな車(ロードスター)の運転もしなくなりました。

約1年間、自宅でヘルパーさんの援助を受けながら一人で大きな家に住んでいました。

彼は離婚してシングルファーザーとして男の子2人を育て、2人ともレストランを経営しているそうです。

田舎に帰ってからも、すべて自炊して、やっていました。


田舎へ帰ってからは、父親が始めた「オシドリ」の世話をしていました。

冬の間に設楽町へ帰って来る渡り鳥です。

日本でも貴重な渡り鳥の生息する場所となり、多くの観光客が訪れていました。

周囲の人からはとても愛される人でした。

立派に両親を送ってあげて、自分も数か月後に天国へ行って3人で楽しく食事しているかもしれません。

彼が毎日世話をしていたオシドリは、多いときは300羽はいたでしょうか、渡り鳥の楽園といった感じで素晴らしいところでした。

設楽町の名所としてとても人気のあるところです。

往診の帰りに、時々寄って見させてもらいました。

そんな彼がいなくなるとは、予想はしていたものの残念です。

本人がいちばん悔しがっていると思いますが、天国で楽しくご両親と過ごされているでしょう。

(8月3日記)

「看取りと贈り物」(令和5年7月)

私は往診の患者も担当していますが、高齢者ばかりなので必然的に「看取り」も関連して多くなります。

家で看取ることを望む人と、できるだけ最善を病院で尽くしてもらいたいというケースがあります。

『看取り』を患者さんがのぞんでいるならその意向に沿ってあげたいと思いますが、距離的なこと、協力できる家族体制がないときなどでお断りすることもあります。

引き受けたならできる限り最後までと考えています。

新城市内は24時間対応の訪問看護サービスがありますので、往診医としてはとても助かっています。

最初は看護師さんに診てもらい、その後主治医に連絡があります。

このシステムだと精神的、体力的にも主治医への負担が少ないので続けて診ていけます。

無事に見取りが終わった時の充実感は、とても大きいのです。と同時に自分の家族へのしわ寄せは大きなものがあります。

時間がとても制約されるのです。


私の母は耳鼻科医でしたが、中耳炎の患者には「痛くなったらいつでもいらっしゃい」というのが口癖でした。

夜中でも必ず対応していました。

眠いのでしょうが笑顔で患者様を迎えていました。

とても私にはできませんが、母はその中に幸せと生きがいを見つけていたのでしょう。

その代わり、家事一般、料理はほとんどしませんでした。

普通の母親がすることはほとんどしていなかったと思います。

すべてお手伝いさんがしていましたし、子供の教育は中学以降、姉妹と私、全員下宿していました。

今考えると、無理もなかったですし、おかげで私も家業を継ぐことができたように思います。


先日、グループホームで看取りをされて98歳で亡くなられた患者様の息子さんから、とても丁寧なお手紙をいただきました。

最後に私がマイペースで仕事をされるように、と書かれていました。

また通院されていた患者さんが亡くなられて、その後の妻としての気持ちをつづられた心温まるお手紙もいただきました。

その中で、夫にもっとこうしてあげればよかったと後悔の思いが書かれていました。

ただ家族の方が自分を責めることと同じことが、我々医療者にも起こりえるのです。

奥さんが夫に対して感じたと同じことで私も悩むのです。

それが私にとって人生のなかにひとつの経験であり、血となり肉となると考えています。

気持ちの切り替えがとても重要になってくると思います。

そういった手紙は私の宝物です。

まだまだ私の患者さんとの共同作業は続いてきますが、この仕事を楽しみながら生きていきたいと思っています。

712日記)

「人類3千年の幸福論」(令和5年6月)

コロナ感染症インフルエンザと同じになっても、医療機関での対応は今まで通りで、発熱患者はポツ、ポツと来られます。

以前のような混雑は見られません。

とても面白い本を見つけました。

ヤマザキマリさんの「人類3千年の幸福論」です。

前よりヤマザキマリさんの本はいろいろ読んでいますが、今回はニコル・クーリッジ・ルマニエールさんとの対談です。

ニコルさんは大英博物館の学芸員で、2019年に「漫画展」を大英博物館で開き、3か月で18万人もの来場者があり大成功を収めました。

ニコルさんは日本通で、イギリスで初めて大々的に日本の漫画文化を紹介したのです。

マリさんは漫画家としてとても有名ですが、文筆家としても有能でたくさんの著作があります。

この2人が日本の絵画、文化、歴史について話し合っているのがとても面白いのです。

そして楽しく勉強できました。

自分が今いかに恵まれた環境にいるかを知らされ、悲惨な状態にいる世界の人々に思いをはせ、人間の蛮行が幾度となく繰り返されてきたことを改めて考えさせられました。

ある男の子から「なぜ絵をかくのですか?」と質問されマリさんは「絵というものは、脳みそのごはんなんです」と答えていました。

コロナ禍で明らかになったことは、芸術に接する機会がないと人間は非常に小さくなってしまうことがわかりました。

9番目の芸術(建築、彫刻、絵画、音楽、文学、映画、演劇、メディア芸術)といわれる漫画も、確かに素晴らしい芸術、アートです。

私たちがどう生きるかを知るには、環境問題であれ、政治問題であれ過去から学ぶ必要があります。

私たちに与えられた人生は、社会の中で様々な価値観に触れて視野を広げ、失敗や挫折を含めて、生きるとはどういういうことかを学ぶことで充実させていくことができるということを、彼女たちは教えてくれました。

お蔭でとても幸福な気持ちになりました。

(6月2日記)

「深い河」(令和5年5月)

コロナ禍が収まったゴールデンウイークの間、息子や娘たちの来訪の合間を縫って、遠藤周作さんの「深い河」を読ませていただきました。

新聞での読者欄で紹介されていましたので、内容はよくわからず、まず買って読み始めました。

彼が亡くなる3年前に書いた実に面白い小説でした。

物語は妻が癌で余命3か月と宣告された磯部という男の話から始まり、妻の入院していた病院のボランティアの美津子、その同級生の大津、第二次世界大戦ビルマで生き残った元軍人の小口、写真家の三条、児童文学作家の沼田、これらの人々がツアーでインドのガンジス川へ行くことが舞台です。

インドのカースト社会の中のヒンズー教徒、ヨーロッパのキリスト教、そして日本の仏教などの宗教上の問題などが絡みあった「転生」の問題を主とした壮大なドラマでした。

遠藤さんは小説の中で推理小説の手法をとりいれており、あまりに面白くあっという間に読み終えてしまいました。

多くの小説を書いていますが、一番力を込めて描いたのではないでしょうか?遠藤さん自身が幼き頃に洗礼を受け、日本人的思考と欧州のキリスト教の考え方の違いに違和感を覚え、その違いをテーマとして書き上げていったのだといわれています。

その底には人間に対する深い愛が感じられて、すごい人だと思いました。


今の時期、差別、戦争など注目される話題が多くあり、社会が混沌としていく中で、いかに自分を磨いて生き抜いて行くべきかを考えさせてくれる小説でした。

また小説の面白さを十分に感じさせてもらいました。

(5月11日記)

「野生に学ぶ未知時代の生き方」(令和5年4月)

桜と花桃の共演が見られた海老川沿いは、今年もとても見応えがありました。

両岸に色とりどりの花桃が咲き、大勢の人でにぎわっていました。

コロナ感染もだいぶ減少してきましたが、まだぼつぼつとあります。

今後はどうなるか、慎重に見ていきたいですね。

山際寿一先生の『スマホを捨てたい子供たち―野生に学ぶ「未知時代」の生き方』(ポプラ新書)はとても考えさせられた新書でした。

山際先生は元京都大学の総長で、長年サルやゴリラの動物研究をされてきた方です。

最近、子供たちに講演する機会が多く、スマホについて子供たちに聞くとやめたいと思っている子供たちが多くいることで話が始まりました。

先生は屋久島のサルに始まり、アフリカのゴリラと2年間も一緒に住まれたことがあり、ゴリラと一緒に生活することでいろんな発見がありました。

ゴリラは人間に一番近い霊長類で、ゴリラを研究することで人間社会、家族の関係性などがよく見えてきたといいます。

人間だけが家族という形態をとりほかの動物は、家族という形態はとらないのです。

先生の言う家族とは、一つ目は結婚を通して新たな家族を作ること。

二つ目は、近親婚はしないこと、三つ目は男性と女性との間に分業が成立していて互いが協力し合いながら共存していること。

四つ目が複数の家族が集まって特別な関係を作り地域社会を作る。

人間以外の霊長類にはこの4つの条件をすべて満足するものはいないので、人間だけだそうです。

先生は長くゴリラの世界で暮らしたことで、言葉を用いずにつながりを作った経験があるそうです。

その経験からとても大切なことに気付いたといいます。

言葉がなくても伝え合うことができたのは、表情からゴリラの気持ちが理解できるようになったのです。

こちらから襲うことがなければ、決して戦わず、ある距離を持って共生したそうです。

そして人間社会を見直してみると、人間は本来他者に迷惑をかけながら、そして他者に迷惑をかけられながらそれを幸福と感じるような社会の中で生きていく生物だといわれます。

これはゴリラの中でも、同じような関係があったのです。

社会力、共感力といったものです。

もとはゴリラの世界から進化してきたのが人間なのです。

世界は本来「実は正解がいくつもある」というもの見かたに満ちています。

たった一つの正解に至らなくても決定的に不正解に陥らなければ、戦争も起きないし、命も失われません。

多様性をみとめることが大事だと訴えます。


そして今の若者には「創発」する力があるので、未来はユートピアに行き着く可能性もあるというのです。

結局、現代社会のスマホは、通信の手段としてはとても有用ですが、スマホでかぎられたひとと交流したりするだけでは、表情も見られないし、直接会話も出来ないというようになる危険性があるので、限られた世界だけで凝り固まることが危険だと言っているのです。

そして自分で考えることをしなくなり、簡単に他人の意見にしたがってしまうことがあるのです。

サルやゴリラの研究をしていてこれほど面白く、人間社会を見つめるのはすごいと思いました。

人間はどうやって進化してきたのかを感じ、今後私たちが大事にしなくてはならぬこと、やらなくてはならないことは何なのかを考えさせられました。

コロナでとても制限させられた3年間でしたが、得たものは大きいと思い、戦争がない世界もありうると思いたくなる1冊でした。

(4月4日記)

「脳は若返る」(令和5年3月)

ようやくコロナパンデミックも終わろうとして、5月からはインフルエンザと同等となるようです。

医療機関にとってはまだまだ感染拡大が心配なので当分は現行の発熱外来対応で見ていこうと考えています。

この3年間の行動制限は、いろんなことを考えさせてくれました。

友人と旅行したり、会食したりすることも控えていました。

基本的に本を読んだり、音楽を聴いたりして家で過ごすことが多くなり、それなりに充実していました。

最近読んだ脳科学者の茂木健一郎さんが書かれた「脳は若返る」という新書を読んで、とても刺激になりました。

以前より患者さんに対して「年のせいです」ということは禁句と考えていましたので、納得がいくことが多くありました。

若返るための3つの重要点があり、まず社会や人とつながること、2番目は常にお金の出入りがあること、3つ目はストレスのない生活習慣だというのです。

お金は他人のために使ってあげることが、すなわち自分に返ってくるというのです。

一番難しいのが、ストレスのない生活習慣ではないでしょうか。

ようは考え方なので、目的に向かって努力することが大事で、ダメなときは潔くあきらめて、ほかっておくことだそうです。

年を取ることは成熟することなので、決して不利なことばかりでないことはよくわかります。

ストレスを良いものと考えて励みにすることができればいいですね。

ストレスをためない生活習慣は、まず太陽に光を浴びること、周囲に話を聞いてもらえる人がいること、そして自分の好きなことをやることだそうです。

ある会合で近くの同業者と話していた時、「先生は仕事と勉強が好きだからいいね」と言われました。

確かに私は、本が好きで、仕事が好きです。

ある面せわしくて、落ち着かなくて自分本位と非難されます。

しかし、好きなことをして生きていられるのは最高だと思いますね。

石原慎太郎さんが死ぬ間際まで、パソコンで小説を書いていたのには感動しましたが、やはり好きなことをすることはストレスと感じないのでしょう。

茂木さんがわたくしと同じだと思ったのは、朝、仕事開始の3時間前に起きて自分の好きなことをやることだそうです。

私は5時起きて病院へ行き、本を読んだり音楽を聴いたりして有効に使います。

茂木さんは走るそうですが、とても私には無理です。

同じような考えがあるものだと感じました。

脳はおとえるばかりでなく、若返ることもできるのだと考えると、楽しくなりますね。

(3月7日記)

「映画と音楽を満喫」(令和5年2月)

久しぶりに映画を見ました。

「日日是好日」という2018年に作られた茶道に関したものでした。

一人の女性が親戚の人と二人で茶道を習い始め、徐々に成長していく過程が茶道とともに描かれています。

茶道の先生が樹木希林さんで、主人公は黒木華さんです。

茶道の先生がとてもはまっていて映画を引き締めてくれます。

「形を作ってから心が入っていくもの」が茶道の基本であることを学びながら、少しずつ成長していきます。

いろんなことがあるのですが、毎日がとても意味があるということがよくわかってきます。

映画を見た後にすっきりして、とても丁寧に、やさしく作られていて心地よい映画でした。

監督、俳優ともに充実していて、感心しました。

やはり人は、一日の中で静かに思いふける時間を持つべきで、相手への思いやりがとても大事であることを気づかせてくれます。

多分、監督は樹木希林さんしかいないと考えて作ったと思います。

やはり名優ですね。

また茶道の面白さも十分見せてくれ満喫した映画でした。


最近聞いている音楽は、松任谷由美の50周年記念CDです。

51曲が入った3枚組ですが、とても面白い。

作詞作曲を自分でして、これだけいい曲をつくり、詩を書く才能には脱帽です。

まじめな方なのですね。私生活もきちんとしているのでしょう。

最初のころの歌がとても気に入っています。

朝、仕事をしながら聞いているので能率も上がります。

映画、音楽ととても気分がリフレッシュできます。

映画は2時間まとまった時間が取れる時ですが、音楽はバックミュージックとしてもここちよいものです。

コロナも少しずつ減少してきていますので、光が見えてきそうですね。

時々は映画を見たり、コンサートへ行ったりできそうです。

(2月5日記)

「音楽の絆」(令和5年1月)

明けましておめでとうございます。

今年もまだまだコロナ禍が続きそうですね。

以前のように、マスクなしでみんなと語り合えそうにはまだないですね。

大学時代の友人の奥様が倒れて、在宅療養のため閉院すると聞き驚きました。

考え、考え抜いて決断したことでしょう。立派だと思います。

彼は以前よりクラシック音楽を好み、オーケストラで打楽器を担当していました。

ただ私のビートルズ好きにかげながら、賛同してくれていたので、言い争うことはなかったですね。

共存共栄の関係でした。

音楽の楽しさはお互いにわかっていたのです。

今後、まさに在宅医療を実戦していくわけですから、多くのサービスを受けながら、頑張っていってほしいと願っています。


今年の年賀状の中に、高校時代に私が教えたビートルズに目覚めて、「教えてもらったことに感謝している」との言葉がありました。

確かに高校時代は、受験勉強の合間を縫ってラジオにかじりついたもので、楽しい思い出です。

最近、中日新聞の論説委員の中に、わたくしのようなビートルズ好きがいて、時々新聞の論説にビートルズが出てきます。

ビートルズはたった10年ぐらい創作活動をしただけなのに、今もって世界中の多くのファンを魅了し続けているのには本当に驚きです。

天才と呼ばれた音楽家はたくさんいるのですが、4人の天才が集まり作り上げたものは偉大です。

そして巡り合ったたくさんの協力者のおかげで、あのビートルズ音楽ができました。

最近でもリマスター版がでて、再び収集しています。

しかしやはり生の魅力にはかないませんね。

先日、NHKでビートルズ日本公演の警視庁のフィルムが見つかり放映されていましたが、当時の警備の物々しさがよくわかり、とても面白く観られました。

あの頃ビートルズを好きな人は、ミーハー族と考えられ、若者の快楽主義を批判するようなマスコミの扱いでした。

音楽的、文化的にもとても低く考えられていました。

60年たってから本当によさがわかってもらって、とても満足しています。

まだまだ、聞く価値、勉強するところがありますね。

妻の介護に専念する彼も、また音楽でこころを癒しながら頑張ってほしいと思います。

(1月11日記)

「僕らの戦争なんだぜ」(令和4年12月)

今年も、もう終わろうとしています。

1年間の早いこと。

自分と同年齢の方の訃報を聞くと、改めて健康で、薬を飲みながらも働けることのありがたさを感じます。

11月最後の日曜日、「RUN伴プラス2022イン新城」に参加してきました。

これは認知症の方、生涯を持った方が住みやすい街にしようというイベントです。

走ったり、歩いたりして新城市役所近くに集合しました。

ランニングに参加したのですが、最高齢ということもあり4㎞ぐらいで終わりました。

しかし晴天で市内を走るのはとても心地よいものでした。

このイベントも4回目で、市民にも知れてきて、認知症の方も参加してきただき大盛況でした。

市民の中にもこのイベントが浸透してきたように思われます。

コロナ禍であっても、成功したことはほんとにありがたいことでした。


最近読んだ高橋源一郎さんの「僕らの戦争なんだぜ」(朝日選書)はとても面白い本でした。

古い日本の教科書、世界の教科書読み、戦争文学の「野火」、林芙美子の従軍記を読み、太宰治の小説から反戦の心を読みとるなど作者の膨大な読書量と考察はほんとにびっくりしました。

むかしから好きだった太宰治ですが、改めて心の深さを知りました。

「太宰治は戦場の作家である」ともいっているのですが、やはりその時代に生きていかなくてはならない厳しさ、ノーといえない世界の中で自分の気持ちを表現する努力を怠っていないおかげで、多くの太宰治の作品が生まれたと結論づけています。

文学とはほんとに奥が深いのですね。

いまの世の中で「彼らの戦争」でなくて「僕らの戦争」としてとらえることが重要であることが見えてきます。

現在の日本でその危機感を持って生きていくことがとても大事であると思いました。

体にいいことをしながら、考えることしながら楽しく毎日行きたいですね。

来年はきっと良い年となることを念じながら、忙しく慌ただしい師走を無事走り抜けたいですね

(12月1日記)

「くり畑の集い」(令和4年11月)

例年10月には医院の「くり畑の集い」が開かれていました。

コロナ禍で今年はビデオでの各部署による「ダンス、手品、仮装行列」と「お茶会」が披露されました。

さらに期間中の川柳の応募に136通の投稿がありました。

わたくしもダンスで参加しましたが、冷や汗ものでした。

幸い、楽しかったと喜んでいただけました。

川柳の中で最優秀賞は「先生の 笑顔が一番 特効薬」、優秀賞として「女子会は お金を払って 太る会」、「胃カメラで 発見できぬ 腹黒さ」が選ばれました。

そのほかにもたくさんの面白い作品が集まりました。

医院内に飾ってありますので、ぜひ読んでください。

改めて院内でのお茶会の参加させていただき、知らないことが多かったのですが、日本の伝統文化である茶道の面白さに感動です。

茶道の基本精神は3つあり、出会いを大切にする「一期一会」4畳半の和室に象徴される「わび」、そしてにじり口に象徴される「謙遜」だというのです。

確かにお茶をいただき語り合うのはしばしの息抜きですね。

来年は、4年ぶりに10月第4土曜日に開催できるといいですね。

コロナも少しずつ変わってきて、経済も上向きとなれば最高です。

「くり畑の集い」の準備委員会の方々ご苦労様でした。

改めて恵まれた環境の中で地域医療に専念できることは、ほんとにありがたいことです。

全員でがんばっていきたいですね。

(11月3日記)

「女王陛下のお葬式」(令和4年10月)

先日亡くなられたエリザベス女王のお葬式のニュースを見ましたが、本当にびっくりしました。

たくさんの人が教会にお悔やみに訪れ、夜を徹して長蛇の列でした。

本当に愛されていたのですね。

70年間も君主として君臨され、24歳から幾多の困難にもあわれ、大変だったのでしょう。


ビートルズが1969年にアルバムの付録のような感じで「女王陛下」という曲を作りました。

とても短い曲ですが、歌詞が不謹慎とのことで放送禁止となっています。

そのポールが、女王の魅力を聡明で、映画女優のように美しく、非常にウィットの富んでいる女性だと絶賛していました。

1963年に王室主催のコンサートに出演した時、次の講演はどこでやられるのか聞かれ、「どろんこ遊びをするところです。お母さん」と答えると「ウインザー城の近くね」と答えたそうです。

プレイを演奏するのと、遊ぶのに変えて返事したポールの冗談をあっさり受け流すところが、機転が利く、ユーモアセンスのある方だと紹介していました。

国民からほんとに愛されていたことがよくわかり、素晴らしい女性だったのですね。

王室をめぐる様々な問題を抱え、心労も大変だったでしょう。

日本と英国は同じような島国ですし、日本人は英国に対してとても親近感を持っています。

今後もますます友好関係が強くなるといいですね。

(10月1日記)

「続けるということ~キープオン~」(令和4年9月)

3年前に新城におしゃれなイタリアンレストランができました。

シェフは若く、東京で修行してきたそうです。

コロナ禍でとても大変だったでしょうが、頑張っています。

都会から来た人に紹介してもとても評判がいいので、私たちも誇りに思っています。

毎月メニューが少しずつ違うので楽しみにしています。

シェフに聞いたところでは、いつもメニュー、新しい料理を考えているそうです。

朝から晩まで常に新しいメニューのことを考えているなんてすごい。

ぜひとも長く続けてもらいたいと思います。

田舎の小さな町に、東京にも負けないイタリアンレスラン、素敵だと思いませんか?


断捨離に対抗して五木寛之さんが「捨てない生き方」(マガジンハウス新書)という本を出版されました。

海外でも評判となった近藤真理恵さんの捨てる技術の対抗です。

五木さんの考え方は、今そこにあるものは、手入れた時の感情と風景、記憶が宿っている。

物を捨てられない生き方というのにも道理があるということを知ってもらいたいというのです。

ある面とても共感できました。

気に入ったシャツは取っておきたいという感じになります。

本もどうしても取っておきたいものです。

レコードも同様で、その当時の思い出があるので取ってあります。

しかし捨てるほうにも一理あるので、判断は個人の考え方でしょう。

人の一生で考えたとき、登山を上りかけている近藤さんと山を下山してきている五木さんとは考え方が違っても当然です。

山を下りてくる楽しみも十分にあるのです。

一番大事なことは「続ける」ことではないでしょうか。

死ぬまで書き続けた石原慎太郎さん、今もなお書き続ける五木さん、コロナ禍で厳しい中、レストランを続ける新城の若いシェフと本物は続けています。

大いに見習いたいですね。

9月4日記)

「人生100年時代」(令和4年8月)

院内で研修会を開き、ファイナンシャルプランナーの講演していただきました。

「マネーインライフ 人生100年時代を豊かに暮らす!」 といった題目です。

従業員の希望で選んだテーマで、一時マスコミで話題になった老後資金のため必要なことと題してのお話で、その中でお金を貯めるために投資信託をしていくことをすすめられました。

確かに毎月の一定金額を収めていくことは、積もれば山となりますので重要ですね。

そのためにも健康でいなくてはなりませんが、病気は必然的に訪れますので、いかに仲良く付き合っていくかが大事なのでしょう。

気持ちに余裕を持って生活できることが大事ですね。

その余裕が投資信託なのかもしれません。

面白かったのは、講演で最後に出された提案で、重要度と緊急度を4つに分けた図案です。

第1領域は危機や災害、病気や事故、締め切りのある仕事、クレーム処理が入ります。

第2領域は健康的な身体つくり、病気の予防、豊かな人間関係の構築、勉強や自己啓発、そして資産形成でした。

第3領域は重要でない電話、重要でないメールへの返信、無意味な接待や付き合い、みんながやっていること、そして最後の第4領域はゲーム、パチンコ、暇つぶしのTV、仲間内の噂話、無駄なだらだら電話とありました。

やはり毎日、毎日を振り返って、緊張感のある充実した生活をすることが資産形成をする上には一番重要なことであることがよくわかり、医療関係の講演会ばかり聞いているので、とても新鮮な院内研修会となりました。

(8月1日記)

「久しぶりの演奏会」(令和4年7月)

コロナ感染症のため2年間以上延期になっていた、地域の女性コーラスの演奏会に行ってきました。

400席の文化会館小ホールが満員で、総勢18名の女性コーラスに加えて、男性コーラスグループの賛助出演、またバイオリン独奏によるチゴイネルワイゼン、女性ソプラノ歌手の独唱も加わり多彩なコンサートでした。

80歳を超えた方が3~4人おられるとのことで、コーラスグループは40年以上もつづいているそうです。

独唱でなくコーラスで続けられていることが素晴らしいと思います。

やはりいつの時代においても音楽というものは人々の心に潤いを与えてくれるのですね。

小さな地域で懸命に音楽活動に打ち込んでいる人々がいることは貴重です。

やはり聴衆あっての音楽だと思います。

コロナ禍で開催するに至るまで大変であったでしょうが、大成功でした。

個人個人の健康に気を付ける姿勢も素晴らしいものがあります。

病気はいろいろあるでしょうが、自分が好きなことに集中できることはすごいですね。

改めて音楽の素晴らしさに感動しました。

有名歌手の引退がいろいろ話題になっていますが、まだまだ地域の歌手の方々は80歳を過ぎてもがんばっておられます。

好きなことはいつまででもやりたい、やれるものなのですね。

(7月3日記)

「戦争花嫁」(令和4年6月)

まだまだコロナがおさまらない6月となってしまいました。

先日、読書好きなテニス仲間が読んでいるといった本、有吉佐和子さんの「非色」のことを知り早速買い読んでみました。

すごい本です。

1964年に書かれていますが「戦争花嫁」を題材としています。

戦後、アメリカ軍が日本を統治していた時に知りあった黒人軍曹と結婚した笑子が子供を4人育て、力強く生きていく様を日本、ニューヨークを舞台に展開していくのですが、登場人物の面白さも加わり小説の世界に引き込まれ2日間で読んでしまいました。

有吉さんがこんなにすごい作家だと初めて知りました。

60年前に書かれたのですが、現在の人種差別問題に通じるところがあり新鮮です。

有吉さんは戦後短期間でしたが、アメリカに留学しています。

その時の経験がとても役立っているのでしょう。

主人公は最後に自分も黒人であると考えるようになって、力強く生きていくのです。

小説の中に出てくる、今では差別用語といわれるものが、ふんだんに出てきますが、そんなことはお構いなしに展開していく面白さは格別です。

色によって人間を差別しないことを強く訴えます。

有吉さんは53歳で急性心不全のため亡くなられています。

生きていたらもっとたくさん面白い小説を書いていたでしょうね。

天才的な作家のひとりではないでしょうか。またひとり好きな作家が増えました。

(6月1日記)

「平和をわれらに」(令和4年5月)

私は音楽を聴くことが好きなので、自由時間は絶えず聴いています。

もっぱら洋楽ですが、桑田佳祐さんが大好きな方もまわりにたくさんいます。

彼のあふれる才能には以前から驚いていました。

最近書店で彼が書いた本があり、その中で「ビートルズが教えてくれた音楽」という文章がありました。

彼が小学校5年生のころ姉がビートルズを聴き出し、夢中となってしまい、その姉の影響が多大にあったということです。

聴き出してからとても影響を受けたとても仲の良かったお姉さんで、自分の友達を連れてきては、佳祐さんにビートルズの歌を歌えといわれ、「ノーリプライ」を友達の前で歌わされたなど、いろんなエピソードが載っていました。

年齢的に私と同世代か、私より少し年下だと思います。

私も中学時代にビートルズにはまり、下宿で姉に散々聴かせて、一緒に歌わせていた思い出があります。

桑田さんのお姉さんはなくなられているようで、幼き頃の音楽の目覚めにお姉さんの影響があったのを読んで、親しみやすさを感じました。

音楽は、あらゆるジャンルを超えてとてもいいものですね。

大学時代の仲間と、クラッシックがよいか、ビートルズがよいか、ジャズがよいか、などと論じ合っていたのも懐かしい思い出です。

ジャンルを問わず、音楽は心を和ましてくれますね。


今、世の中は戦争とコロナのことばかりです。

こういった時こそ、じっくりと音楽に聴き入り平和を祈りたい気持ちになります。

ジョンとヨーコが「ハッピイクリスマス」を作り、全世界の人に「戦争は終わります。あなた方がのぞみさえすれば」と歌ったように、一刻も早く停戦してもらいたいですね。

ウクライナの人々は、皆さん「ギブ ピース ア チャンス 平和をわれらに」と思っていることでしょう。

日本も以前ロシアに対して、中国に対して、韓国や東南アジアの諸国に対しても、ロシアと同じことをしてきました。

その反省に立って、今後日本がどうやって世界平和に貢献していけるかを考えることが一番大事なのではないでしょうか。

(5月9日記)

「音楽の軌跡」(令和4年4月)

グレン・キャンベルさんというアメリカで国民的英雄といわれたカントリーウエスタン歌手がいました。

日本でいえば北島三郎さんとか美空ひばりさんに匹敵するミュージシャンです。

彼は2011年に自身がアルツハイマー病であることを公表してからも、演奏活動を続け、子供たちもそれぞれミュージシャンとして協力して全米各地を回り、2017年に亡くなられました。

そのドキュメンタリー映画がグラミー賞を受けたことを知り、見てみました。

アルツハイマー病が進んでいき、だんだん演奏もできなくなってきましたが、ほぼ最後までギターを弾き歌を歌っていました。

ギターがとてもうまく、娘さんもバンジョーがうまく親子で共演してアルバムも出しているようです。

「グレン・キャンベル 音楽の奇跡」と題されたこの映画は、たとえ病気が発症しても音楽的能力は最後まで残っていくものであることを見せてくれました。

その家族の協力が大きな力であったことは間違いありません。

周囲の暖かい対応が、進行を遅らせたこと見せてくれます。

またアメリカではアルツハイマー病はかなり多く、財団が映画製作に協力していました。

心が温まるドキュメンタリー映画でした。


この映画を見る前に、2月に膵臓癌で亡くなられた石原慎太郎氏の絶筆「死への道程」をよみました。

余命三か月と言われて書いた文章ですが、彼は最後まで小説家だったのですね。

わたしは彼の小説は好きでしたが、政治的な考え方はついていけませんでした。

しかし、一度は総理大臣をさせてあげたかった人だったと思います。行動力は見事なものでした。

グレン・キャンベルさんと石原慎太郎氏ともに天才といっていいような人です。

死は避けられないものですが、残念です。

(4月9日記)

「第2次世界大戦の爪痕」(令和4年3月)

季刊誌「そう」という雑誌があります。

東三河、西遠、西三河、南信の応援誌で、年4回発行されて特集がおもしろくて楽しみにしています。

この東三河、西南遠州、西三河の中から興味ある特集を組んでいます。

今回、島の特集でした。島がついた地名から取り上げていますが、その中に満島にあった、捕虜収容所の記事がありました。

飯田市より南に下り平岡ダムの近くで、現在は天龍村と言われていますが昔は浦島という地名で、第2次世界大戦中に作られた捕虜収容所です。

そのころ日本には130の捕虜収容所がありました。

ここ浦島収容所にはアメリカ人、イギリス人など総勢250名が入所しており、ダム建設の人員の不足を補うために作られたようです。

ダム建設のため犠牲になった捕虜も多く、戦後、昭和23年の戦犯裁判で収容所の警備員11名に重い判決が下され、死刑6名、終身刑4名、有期刑1名となり、中には地元出身者もいたそうです。

一方で収容所警備員や村人に御礼を伝えたいという元捕虜もいたそうで、収容所の跡地には連合国軍捕虜56名の名前が刻まれた鎮魂碑や韓国人、中国人鎮魂碑もあります。

こういった記事を読むと、戦争中のことは知らないことが多く、改めて戦争が残した爪痕はいつまでも残るものですね。

私の父は南方へ軍医として従軍して、幸いにも生きてかえって来ましたが、亡くなられた方もとても多くおられます。

戦地でなくなられた人々、捕虜として収容され日本で亡くなられた人々、どちらも悲しいことです。


この季刊誌は郵送してくれます。

年4冊で2400円ですが、展覧会、音楽会などの情報も多くとても面白い雑誌ですので、是非とも購読してあげてください。

会社は豊橋にあり、春夏秋冬叢書で電話0532-33-0086です。

こういった文化は是非、続けていってもらいたいものです。

(3月12日記)

「不思議な日本人」 (令和4年2月)

 相変わらずのコロナ禍が続いています。

感染が広がっている中でとても面白い本を見つけました。

塚谷泰生さんとピーター・バラカンさんが書かれた「不思議な日本人」(筑摩書房)という新書です。

塚谷さんは商社員としてデンマークへ赴任して、以後30年以上欧州で活躍されている方です。

バラカンさんは、ブロードキャスターとして有名です。日本人の特徴を面白くとらえています。

日本社会の特徴として、縦の社会、連帯責任、同調圧力、村八分、を上げています。

その基礎は稲作文化にあるというのです。

つまり農耕民族であった日本人は、コメを生活のため作り出し、田んぼを作るためには共同作業をしなくてはならず、連帯が生まれたというのです。お米は古代から税金の代わりでした。

お米を作るには、水が必要です。水を引くために村人は助け合って設備を作り上げたのです。

日本の特徴を欧州と比較しながら、日本人の悪いところ、良いところを指摘しています。

バカランさんはイギリス人ですので、欧州の状況に詳しく、イギリスと日本の似ているところ、異なるところ指摘しながら日本の稲作文化の説明に共感しています。

以前「武士道」で指摘された日本人の特徴は認めますが、根本的に武士の比率は5%弱であったので、大多数をしめる農民から作られていったとする塚谷さんの説明は納得できます。

日本人には「いわなくてもわかる文化」があって、外国人には理解できないようです。

もっと日本人は自己主張し、個人を大事にすべきともいっています。

欧米の個人主義に学ぶべきものがあるようです。

何を大事にすべきなのかを考えさせられます。

戦後に入ってきた民主主義は日本では進展していなくて、まだまだ考えなくてはならないことが多いようです。

地域に埋もれている日本らしい輝くものを多くの人が見つけて、この地で生きていけたら最高ですね。

(2月9日記)

「感激した武士道について」 (令和4年1月)

 少し遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。

まだまだコロナ禍が続いています。

今週からワクチンの3回目が始まります。

忙しくなりますが、私の体の調子は良いので頑張って行けそうです。

昨年読んだ本でとても考えさせられたのは、新渡戸稲造さんの「武士道」です。

1862年生まれで、アメリカ、ドイツに留学後、東京大学教授などを務められました。

アメリカにいるときに武士道を英語で書かれ、その訳本が昨年7月に朝日新聞出版から出ました(以前に発行されたものと訳者が違います)。

ドイツ人から日本には宗教教育がないことを指摘され、武士道があることを外国の人に知らせるために書かれています。

鎌倉時代から始まった武士道は、人間のいきる倫理を詳細に述べています。

部分的には封建制度の中での武士の倫理は,中国から来た孔子、孟子の考え方を取り入れ日本的に書かれています。

日本人の特性がよく記されていてとても面白い本です。

明治維新後の改革を諸外国と協力して改革していった根本は武士道にあったようです。

しかし20世紀にはいり武士道の独立した倫理体系は消え去ったが、その影響が地上から消え去ることはないと言っています。

武士道では詩や歌をつくることを奨励され、茶の湯は一つの儀式とどまらず芸術であるとも言っています。

また最良の勝利は、血を流さずに得られる勝利であるともいっていて、武士は血を流して戦うのが好きといった概念ではないことを示しています。

そして女性の地位、教育に関しては家庭的であり、なおかつアマゾンの女傑であるべきだといい、これは決して矛盾しないともいっています。

今の日本人の知と徳は直接的にも間接的にも武士道によって作られたものであると考えています。

しかし根本的な考え方は、西欧のものキリスト教の精神と共通していると考えられ、自制心,他者への思いやり、公私の峻別、潔いふるまい、公正を重んじる心、謙虚さなど誇るべき精神の遺産が、現在の日本人の中にも息づいていると言っています。

コロナ禍で、改めて考え方、生き方を考えさせてくれる本でした。  

(1月16日記)

「奇跡の再結成!40年ぶりのアルバム」 (令和3年12月)

 今年も残すところ1週間となりつつあります。

慌ただしい毎日ですが、12月になり新しいアルバムの虜となりました。

懐かしいアバが、アルバム「ボォヤージ」を11月に発売され、知人からお借りしました。

あまりに素晴らしかったので自分で早速買いました。

アバはスウェーデンの4人組のグループで、1974年より「ダンシングクイーン」など多くのヒット曲で大活躍しましたが、1982年に解散していました。

医者になって4年目に三重県に赴任していたころ、独身宿舎でアバのレコードをよく聴いていました。

40年ぶりに出されたアルバムは、驚きでした。

まるでミュージカルを見ているような曲の編成で、とても洗練されたアバでした。

4人組は元夫婦で、離婚していました。

人間としても、苦労を重ね到達した人間性で、まさにコロナ禍で作られた感じです。

作詞、作曲を自分たちで行い、精魂込めて作り上げた素晴らしい曲ばかりです。

是非皆さんにも聞いてもらいたいと思います。

コロナ禍のため、本当に来年はどうなるか想像できませんが、希望を持って生きていける感じにさせてくれます。

是非音楽に興味のある方は聴いて下さい。

(12月23日記)

「コロナ禍で考えたこと」 (令和3年12月)

 2021年もついに終わろうとしています。

今年もコロナで振り回された1年だったと思います。

この地域では、コロナ以外で多くの患者さんが亡くなられました。

往診へ行っていた6人の患者さんが亡くなられ、病院で亡くなられた人、自宅で亡くなられた人など様々です。

年齢は80歳以上がほとんどですが、74歳の方もおられました。

また私の同級生も2人亡くなられました。

一人は大学時代の親友、一人は中学時代の友人です。

一人は腹部動脈瘤破裂、借金をして開業して、返済した後突然亡くなりました。

膵癌の同級生は、手術して1年後に亡くなりました。

自分も今は元気に働けていますが、何が起こるかわかりません。

ただ毎日を楽しく、一生懸命生きるだけです。

宮本亜門さんが言ってました。「老いは壮絶で醜悪かもしれないが限りなく美しい」と。

またある人は「年を取ることは忍耐、常識、知恵、謙遜、思いやりを教えてくれる」とも言っています。

できなくなることはありますが、得られることのほうがずっと多いと思います。

コロナ禍で学んだことは、貴重な時間の有用な使い方と、我慢することの重要性です。

来年は、今年よりさらに充実した年となりそうですね。 

(12月8日記)

「木曽路への旅」 (令和3年11月)

 久しぶりに快晴に恵まれた土曜日に、まだ見たことのない松本城と中山道奈良井宿に行ってきました。

家から3時間でお城に着きました。

国宝の松本城は、入るのに1時間待ちで6階まで登る急な階段がある、とても面白い城でした。

現存する城の中では一番古いそうで、鎌倉時代に建てられたのですから、すごい技術ものです。

松本市はまた音楽の都として有名で、駅前でバイオリンとチェロのアンサンブルが生で演奏していたりと、とてもユニークな都市です。

夕方には木曽路を走り、奈良井宿に宿泊しました。

中山道は宿場町として栄えたところですが、素晴らしいのは江戸時代からの街並みが保存してあり、まさに江戸時代の雰囲気があるのです。

松並木も残っていて、木曽路らしい木々と街並みは初めてでした。

奥三河から3時間で行けて、現在建設中の三遠南信道路ができればもっと早く着けるようになるそうです。

楽しみですね。

しかし奥三河も捨てたものではなく、徳川家康ゆかりの場所もある鳳来寺山や湯谷温泉を訪れると、感動するところが沢山ありますね。

離れた観光地に行き、改めて自分が住んでいる周りに良さに気づくものです。

コロナ禍であっても、多くの人が鳳来寺山や湯谷温泉に訪れたくれた人の気持ちが分かりますね。

来年は、マスクを付けずにいろんなところに行けたらと思わずにおれない気持ちです。 

(10月29日記)

「卵を割らなければオムレツは食べられない」 (令和3年10月)

先日読んだ「岸恵子自伝ー卵を割らなければオムレツは食べられない」は、大作でとても面白い伝記でした。

「君の名は」で、真知子マフラーブームを起こした女優さんですが、びっくりするほど文章が上手い。

その人生もとてもドラマチックで、女優になって、フランス人の監督に見初められ、フランスへ24歳で渡りました。

夫のフランス人映画監督のイブ・シャンピさんは医師で、自伝の中に所々に医療関係の話が出てきます。

彼女はとにかく知識欲が旺盛でフランス語、英語が堪能(すごく努力されました)。

不幸にも20年後に離婚して、その6年後に彼は病死しています。

この夫が岸恵子さんを口説いた言葉が「卵を割らなければオムレツは食べられない」でした。

それと別れの言葉は「どうしても君の日本に勝てなかった」と言われたそうです。

離婚後も女優、レポーターなどして世界を飛び回り、有名な政治家とも会談しています。

戦火のイラクや、ガザ地区なども取材しており、間違えば死んでいただろうと思われる場面にも時々遭遇しています。

育ちが良い上に努力家で、強い信念の持ち主なのです。


戦前から戦後の日本やフランスの様子がよく分かり、フランスへの興味も湧いてきました。

イラクへ行ったため、イスラム教のこともとても勉強されていて、今も変わらないイスラム情勢も理解できます。

88歳でこんな厚い自伝を出せるのは凄いと思います。

彼女は18歳の時から小説を書いていて、今までも随筆、小説など沢山書いています。

素晴らしい女優さんで、是非女性に読んでもらいたい本ですね。   

(9月21日記)

「他者の靴を履く」 (令和3年9月)

6月からコロナワクチンの集団接種と個別接種が始まりました。

残念ながら再び緊急事態宣言下となり、患者さんは増え続けています。

しかしワクチンも市民の方々は受けてもらえていて、新城市は順調に進んでいるように思います。

休日にもかかわらず新城市の職員の方は、出勤して大変なことですが、おかげで多くの人が受けられています。 

 インフルエンザの場合もありますが、ワクチンを受けても感染する人はあります。

これはやむ得ないことだと考えますが、確かに重症化、感染予防になることは事実なので、皆さん積極的に受けてもらいたいですね。

私も集団接種に参加して、副反応の方もおられましたが、本当のアナフィラキシー反応の方は見られていません。

今後絶対にないとは言えませんが、少ないと思います。

コロナに感染して後遺症に苦しむ人などをみると、是非ともワクチンを接種していただきたいと思います。


コロナ禍でいろんなことが浮き彫りにされました。

人間はそれぞれ信念を持って生きている人が多いなかで、他者の意見を取り入れることは本当に難しいと思いますが、意見を取り入れて、自分の考えを変える事ができる人は本当に凄いと思います。

他者に共感することは、できそうで難しいことです。

作家のブレイデイみかこさんが「他者の靴を履くーアナーキック・エンパシーのすすめ」という本を書いていますが、このエンパシーという考えは、とても面白いと思いました。

かなり難しいところもありますが、エンパソーとは他者の感情や経験などを理解する能力と定義されています。

他人の立場になって考えることなのですが、自己中心的になりやすいコロナ禍で、特に重要になってきているのではないでしょうか。

集団接種のお手伝いをしながら、世の中の多くの人が、エンパシーの考えを持って生きていけることができれば、もっと平和な世界になるのにと、ふと考えてしまいました。   

(8月31日記)

「死を生きた人びと」 (令和3年8月)

小堀鷗一郎先生という外科医から訪問診療医となった人が書かれた随筆があります。

森鷗外のお孫さんで、在宅で看取った355人の患者さんとの触れ合いを描いたものですが、すごい方がおられると尊敬の気持ちをもちながら読ませてもらいました。

やはり血筋から当然文章は上手いですね。

在宅死は、大変なのは家族であるという指摘は同感ですね。

先生は、在宅以外に介護施設を定期的に訪問していますが、入所している患者さんが「病気以外のことを聞いてくれる」と感動して話していました。

実に大事なことだと思います。

患者さんの生き方、人生に興味を持ってくれることは、患者さんにとっては、現実の社会に接する機会なのですね。

改めて患者さんとの会話の大切さを感じました。


ただ二つ、気になった事があります。

在宅をやらない医師への批判と、新聞の記事からの抜粋でしたが、老老医療という言葉です。

私は往診しない医者が悪いとは思いません。

個人個人の考えがあるのですから、当然と思います。

確かに訪問診療は面白いと考えますが、開業医は開業医の考え方があり、ある面とても正直なのではないかと思います。

老老医療は新聞に載った言葉ですが、老いてみる医師は、それなりに凄いと考えます。

老いて見える面が多くあると思います。

私は80歳過ぎても、同じように朝から晩まで医院を支えている方を尊敬しています。

老老医療などと呼ばないでいただきたい(新聞社の造語ですが)。

ただしこの本は、現代日本の医療を鋭く分析して、在宅医療の今後、我々が死と向き合って家族と共に生きていく面白さがよく描かれていて、大変心が温かくなる本でした。     

(7月26日記)

「ヒア カムズ ザ サン」 (令和3年7月)

ワクチンの集団接種が6月から始まり、土曜日に駆り出されることが多くなりました。

当院は土曜日が休診日なのでお手伝いできています。

普段、病気の患者さんばかり見ているので、予防接種を受けに来る人の話を聞いてみると、70代、80代でも薬を飲まず、通院もしていない人が随分いるものであることに驚かされます。

検査をしないから異常がないのか、検査をして異常がないのかが重要なのでしょうが、改めてそう言った方がいることが新鮮でした。

でもやはり80パーセントの人は何らかの病気を持っているのではないかと思います(65歳以上で)。

自分も薬を飲んで治療してますから、悪いことばかり考えてしまうもの事実です。

考え方としていい方へ考えることにしていますが、時々落ち込みますね。

そんな時、音楽を聴いたり、読書して気分転換できます。


しかし、このところ周りの地球環境の変化が、今まで経験してなかった被害に見舞われることが多くなりました。

そんな暗い話題ばかりが多いこの頃ですが、ふと雑誌を見ていたら「特集 明るい未来へ!」の副題が「ヒア カムズ ザ サン」でした。

ビートルズの有名なヒット曲ですが、こんなところへ出されているのですね。

田舎に住む人が増えていることを特集しているのですが、面白いタイトルのつけ方だと感心しました。

未来は捨てたものではないのかもしれません。

ビートルズマニアの私としては、うれしい引用です。

コロナも徐々に減って、仲間たちと飲みあえるのも、もうしばらくの辛抱ですね。     

(7月4日記)

「在宅医療のおもしろさ」 (令和3年6月)

 コロナ禍で外出もままならない中で、どうしても本と音楽の話となってしまいます。最近毎朝、聴いているのは「カーペンターズ バイ リクエスト」という日本のファンが選んだベスト盤です。日本でヒットした20曲が入っています。改めて聴いてみると、ほんとに歌声が綺麗です。当たり前のことですが、発音がとても素敵で心地よい曲ばかりです。歌っていたカレンさんは、神経性食欲不振症で亡くなられました。あの頃、私も大学病院で同じ病気の患者を2人受け持っていましたので、とても残念であったことを覚えています。今のこの世の中で、歌声がとても新鮮で、アメリカンポップスの一時期を作ったことは間違いありません。カーペンターズの「ナウ アンド ゼン」というアルバムも好きですが、この「バイ リクエスト」は突出しています。

 最近読んだ面白い本は「いのちの停車場」です。南杏子さんという現役医師で作家の方の本ですが、在宅医療と安楽死といったテーマで書かれていますが、ほんとに感動します。私も訪問診療していますので、よくわかるとこが多いのですが、最期まで読むと著者の凄さがよくわかります。前回読んだ夏川草介さんのとは違った面白さがあります。映画化されたようですが、私は映画をまだ観ていません。観る前に読む方が良いことが多いのですが、これは好みの問題でしょうか。イメージ的には主人公は、吉永小百合さんにとてもあっているように思います。在宅医療の困難なところ、面白いところを的確に表現しているのには感心しました。是非読んでもらいたい一冊です。      (6月1日 記)


「臨床の砦」を読んで (令和3年5月)

 まだまだコロナ禍が収まらず、増加傾向となっています。「神様のカルテ」で楽しませてくれている夏川草介先生が最近「臨床の砦」という新作を発表しました。地域の小さな病院でのコロナとの戦いぶりが、詳細に書かれた小説です。いつも読んだ後に、暗い気持ちにならず、ほんのりとした温かさに包まれるのは、確かに登場人物のなかに悪者がいないからでしょうか?主人公の決断力の素早さ、的確さはまさにヒーローです。田舎の医者として理想像として描かれています。現実感がとてもあり、先生の描写力には感心させられます。

 前作「始まりの木」の話は、地球環境の話で、医療関係ではない物語でしたが、どの分野においても面白いとしてしまうのは、作家としての能力なのでしょう。今、大都市で繰り返し報道されている「医療崩壊」が起こっていることが、描写されていますが、携わる全ての人が耐え忍んで頑張っていることに思いをはせることが大事なのですね。私の地域でも、患者さんからコロナに感染したことで、村八分や中傷を受け、人間不信になったと聞きました。田舎の悪い面が強調されたように思いますが、都会でも起こっているでしょう。論議されている医療と経済の両立の問題は、とても難しいことですが、人それぞれが、他人への思いやりを持って暮らして行けたらと思います。 

 コロナ禍で時間を見つけて絵画を見たり、読書したりしたことは、「芸術と文化は、人に生きる喜びを与えてくれる」のを実感しています。       (5月9日 記)


「別れと出会い」(令和3年4月)

 最近1週間に2度も葬儀に参列する機会がありました。2人とも私がずっと開業してから診せていただいた患者さんでした。一人は、私が田舎で胃カメラを施行し始めて、自分で見つけた早期胃がんの患者さんでした。30歳代で手術も無事終わりましたが、60歳代ごろから肺気腫を患い、最期は在宅酸素療法を行いながら往診をしていました。74歳でしたので、とても残念だったかと思います。もう一人は、92歳の元先生でした。先生はよくびんたを生徒にしました。その生徒さんが葬儀に来ていて、よく小学校でびんたをされた話をしてくれました。私も小学校の時、他の先生からびんたをスリッパでされました。された原因は覚えていませんが、よほど悪いことをしたのでしょうね。先生は、肺癌、胃癌の手術をされて、両手術とも完治でしたが、頚椎疾患、脊椎疾患のため入院され、最期が呼吸不全で亡くなられました。二人とも長い付き合いでしたので、とてもさみしく感じます。残された家族の方は、また頑張って生きてほしいと思います。

 以前は、患者さんが亡くならると、医師としてある種の敗北感を感じていたこともありましたが、今は仕事をやり終えて満足感を感じます。患者さんの人生の一部分を手助けしてあげたいという達成感です。高齢だから死はやむ得ないというのではなく、何歳でも死はあり得ますから、患者さんの人生の一部に関与させてもらえたという充実感があります。こうやって田舎医者をあと何年できるかわかりませんが、楽しくやっていきたいです。

 今年の桜と梅桃はとても綺麗でしたが、あっという間に終わってしまいそうです。コロナ禍でも、ここ奥三河にはまだまだ人が訪れてくれます。「とてもいいところですね」という言葉はよく聞かれます。確かに奥三河は自然の美しさと素朴さが残っています。この美味しい空気を十分吸って、また都会で頑張ってほしいと思います。(4月4日 記)

「未来予測は?」(令和3年3月)

 毎週1回のテニスは、開業してしばらくしてから、体にいいことをするべきとの提案を妻からもらい始めました。最初はあまり乗り気でなかったのですが、次第に面白くなり続けています。

 続けてこれたのは、テニス仲間の協力が大きいのですが、その仲間から勧められた本で「2030年 ジャック・アタリの未来予測」(プレジデント社)という本がありました。2017年に書かれた本で、コロナ禍が話題になる前に書かれています。予測は恐ろしいことばかりですが、本当のその通りになりつつあります。人口の減少、公害、気象変動による水面の上昇、水資源の枯渇、悪化する食料事情、移民の増加、富の一極集中とまさに混沌とした世界ですが、著者は明るい未来への提言をあげています。「自分自身ができる限り高貴な生活を送りながら世界を救う」という提言です。つまり我々は「快適な時間」を過ごす手段を自身に与えると同時に、他社にもそうした時間を過ごせるように手助けしながら、幸せな世界を作り出すことができるようになると言っています。著者はフランス人なので、フランスが自分たちの役割をはたすべき10の提案をしています。大統領の特別補佐官をした人なので、とても現実的で、最期に「次世代の負担にならないようにするために、公的債務を大幅に削減しなくてはならない」と助言しています。簡単には片付かない問題ばかりですが、最期には明るい希望が見えてくる一冊でした。

 毎週3時間、テニスに集中できる時間を持てることは、本当に幸せなのですね。(3月1日 記)

「玉砕を読んで」(令和3年2月)

 まだまだコロナ禍は続いています。またまたいい本を自分の図書室で見つけました。

 小田実さんの「玉砕」です。発行は2006年となっていますが、買ったのは5年前ぐらいでしょうか?読まずに積んでおいたのですが、読み始めたら止まりませんでんした。大東亜戦争時のフィリピンのある島での兵隊たちの「自殺攻撃」を取材しながら創作した小説です。実際にあったことではないのでしょうが、リアルに描き出されます。島の中でアメリカ軍の侵攻と闘いながら死んでいった兵隊さんたちの心の葛藤が描かれます。

 この本はティナ・ベプラーサン、ドナルド・キーンさんの3人の共著となっています。「玉砕」と、これを読んでラジオドラマをイギリスBBCで制作した人と、さらに「玉砕」を英語に訳して出版した人の3人です。小田実さんは、ベトナム平和連合の代表として活躍された方で、作家で、多くの賞をもらっています。この話には、戦争、人種差別、天皇制、憲法などの多くの問題を含んでいますが、この3人がそれぞれ一つの小説を基として書かれているのがとても面白い。戦争後、50年たって描かれたドラマ(1998年発表)の重要性が今、浮かび上がってきました。作家の小田実さんが、現在もなお平和運動の活動家、作家として活躍されているのには、頭が下がります。(2月1日 記)

「学校医として考えさせられること」(令和3年1月)

 新年明けましておめでとうございます。                                                今年はコロナのために子供たちは誰も帰って来ず、静かな正月でした。時間があるので、昔買った古い本を探して読むことにしました。

 面白い本を見つけました。「学校の憂鬱-アメリカ人教授の見た“いじめ・体罰"」という本です。ケン・スクーランドさんが書いた本で、山本俊子さんが訳しています。(早川書房)30年前に出たものですが、とてもユニークでした。著者は1984年から2年間、アメリカから交換教授として北海道に赴任して、日本の教育と直接触れ合い始めました。そこで見た大学生の実態に驚き、日本の教育制度を探求して、著者は大学生たちを理解できるようになるのです。その中にいじめ・体罰の実態を詳しく報告しています。面白いのは、現在の日本の教育管理体質を、江戸時代の5人組制度に求めています。集団指導、連帯責任、班競争など各メンバーがメンバー全体に責任を負う管理方式で個性が抑圧されるが、そのもとは江戸時代のため、政者が住民を統制するために考え出した5人組制度にあるというのです。恥の文化とも関連し、一人何か世間的に悪をなす者がいると、そのような人間がいることが家の恥、学校の恥、会社の恥と見られるので、個人の行動が束縛されてしまうというのです。この本の原題は「将軍の亡霊、日本の教育の暗黒な部分」というものでした。外国人からみた本当に面白い分析でした。

 自分の子供のころを考えてみても、屈曲した生活をしていましたが、今考えるとやはり何が子供たちにとって良いのかがとても考えさせられました。学校医をさせてもらっているので、一度小学校の先生方とこういった問題について話し合うのも楽しいかと思います。(1月9日 記)

「ポストコロナ期を生きる君たちへ」(令和2年12月)

 相変わらずコロナ禍の中で、厳しい毎日ですね。最近読んだ「ポストコロナ期を生きる君たちへ」〈晶文社〉という本の中で、劇作家の平田オリザさんが面白い文章を投稿していました。「コロナで明らかになった日本の最も弱い部分」と題した文章です。この中で平田さんは、日本には会話はあるが対話がない、シンパシーはあってもエンパシーがない。ハウスはあってもホームがないと。これらの問題を解決する糸口は、芸術が重要なルーツだと言っています。実際、地方自治体の依頼で、地域の文化活動をしておられるようです。とても短く直接的に日本の現状をとらえている言葉だと感じます。自分自身に思い当たることがあります。この本は、若い世代の人へのエールとして内田樹さんが編集したものですが、多方面からの投稿が多くあり、面白い企画でした。内田樹さんは思想家ですが、とても面白い方でいろんな本を書いておられますが、実に心地よい評価です。

 最近、特に好きになり本を集めています。父と娘で手紙にやり取りして書いていますが、こんな親子関係は素敵だと思いますね。内田親子はエンパシーがあり、対話があり、ホームがある家庭だと思いますね。コロナ禍のために、時間が作れて本が読めます。とても厳しい現実で大変な思いをされている方が、たくさんいると思いますが、来年は変わると思っていきたいですね。(12月7日 記)

「久しぶりの外出」(令和2年11月)

 大学病院の医局に属していた仲間6人で、知多半島の内海温泉と焼き物の町常滑市へ行ってきました。常滑市には沢山の焼き物店があり、とてもユニークなところです。2時間ぐらいかけて坂道を歩きながら散策して、とても気にいった店もありましたが、あまりの店の多さについつい買わずに帰ってきてしまいました。とても残念。でも楽しい休日でした。「3密」を守りながら行けました。

 小川糸さんがまた新しく書き下ろしました。「とわの庭」という小説です。ストーリーを予測できない思いつかない展開で、読者に読む楽しみを与えてくれるお話しでした。とても悲しい物語ですが、最後にはほっとして終わりました。人間は、生きるために本当に耐えて生きていくことができて、またこれが生きる楽しみとなるのではないでしょうか?生きていることが素晴らしいことを教えてくれます。元気が出る本です。これに加えて、石原慎太郎さんの「老いてこそ生き甲斐」も元気が出ます。老いなければ見られないもの、感じられないもの、極められないものが確かにあります。まだ自分は若年者(?)ではありますが、「老いていいこと」も沢山あるように思います。老いることは決して悲しい事ではないと教えてくれます。患者さんの中にも、素晴らしい老人はいっぱいいますね。(11月12日 記)

「朝の空気がおいしい」(令和2年10月)

 最近は、近くの鳳来寺山や湯谷温泉に来られる方が多く、大賑わいです。コロナ禍で旅行されることが抑制されていても、都会からこの地に訪れていました。やはり田舎は安全と思われる方が多いと思われます。観光地としては嬉しい限りですが、心配な面もありますね。しかし奥三河は、ほんとに朝の空気がおいしい。

 作家の夏川草介さんが、新作を書かれました。「始まりの木」で、「神様のカルテ」とは異なり、主人公は民俗学の大学の准教授で、教え子の大学生院の二人で、日本全国各地へ調査にに行くという設定です。ストーリーがとても面白くてワクワクします。ところどころに出てくる、現代社会への警告もまさに当たっているのですが、登場人物の構成が「神様のカルテ」に通じるところがあって楽しめます。人間愛にあふれる著者の感性がいかんなく発揮されていると思います。舞台が違っても、求めるものは同じなのですね。びっくりするのは最後の参考文献の多さです。民俗学に関する読書は、半端ではありません。これだけ勉強して、こういった本を書けるのは、凄い人だと思いますね。

 夏川さんの本は、読後ほんとに気持ちが温かくなります。コロナ禍で多くの人が本を書いていますが、自分を見つめ直すほんと良い機会です。「立ち止まって考える」ことはとても大事なのですね。世界中が大変な状況になっていますが、コロナに関係なく知ることの喜びを教えてくれる本だと思います。さて次はどんなストーリーで始まるのか楽しみな夏川草介さんの本です。(10月12日 記)

「戦争のうたがきこえる」(令和2年9月)

 相変わらずコロナの影響で、外出は控えている今日この頃です。先日読んだ佐藤由美子さんの「戦争の歌がきこえる」(柏書房)にはとても考えさせれられました。今まで自分が考えていた戦争の実体を覆されたノンフィクションです。

 佐藤さんはアメリカで音楽療法士の資格を取り、10年間アメリカのホスピスで働き、様々な人との出会いの記録です。日本兵を殺したことを、日本人の彼女に告白した退陣軍人、フィリピンで日本兵に親友を大され、その後、広島で焼け野原を見た男性、罪悪感に悩まされ続けた原爆開発の関係者など、戦争に関連した人々との関りを通して、「第2次世界大戦」について全く異なる視点から考えられる機会を得たと述べています。私たちが知らない戦争の内幕が少しずつはっきりしてきます。音楽を通じて、患者さんと関りを持ち、ケアしていく過程もとても面白くわかり、一気に読めてしまいます。コロナのために、読書と音楽には時間を費やせましたが、最近読んだ中でとても違った視点から現在の日本を見ることができ、読書の面白さを与えてくれました。

 以前からこのコラムに度々出てくる、ヤマザキユリさん、ブレイデイみかこさんと通じるところがあります。「忘れられない記憶」を発掘して、次の世代の人に伝えていくことはとても大事なのですね。私の父は、大学を出てすぐに軍医中尉としてソロモン諸島に行ってました。私の子供の頃から父は決して戦争の話はしませんでした。話したくはなかったのでしょうが、聞いておくべきだったとつくづく思います。残酷な戦争を経験して、いきなり田舎の開業医となり、臨床を勉強しながら私たち3人の子供を育ててくれた復員軍人であった父親を考えると、もっと話を聞いておくべきだったと悔やまれます。是非とも皆さん読んでもらいたい一冊です。(9月28日 記)

「今、世界は、英国は?」(令和2年9月)

 暑い日が続いていますが、9月となり台風の心配も出てきました。まだまだコロナ禍が続きますが、世界はどうなっているか状況を確かめたくなってきます。

 ブレイデイみかこさんの「ワイルドサイドをほっつき歩け」を本屋さんで見つけ読みました。以前「僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー」で息子さんの成長期を面白く書かれていた作家です。今回は、中年の友人たち(おっさん、おばさん)の出来事を、厳しい現実とたくましく生きていくさまを、ユーモアを交えて描かれたエッセイ集です。コロナ禍のいま、差別主義がとても話題になっていますが、英国の現実を知るにつれ世界各国で起きていることは全く同じであることを感じさせます。こんな国でも住んでいたいと思えるのは、底辺に流れる、英国らしさがあるのでしょうね。他国を見て、また日本の良さをも感じさせてくれます。EU離脱となり、今後どう変わるのかとても興味ある話です。日本も激動の時期にかかってきています。英国を知ると、日本が今後抱えるだろう大きな問題が見えてくるように思います。

 ヤマザキマリさんといい、海外で活躍している女性は増えています。実際、女性のほうが才能ある人が多いように思いますが、いかがでしょう?今後ますます女性には期待できますね。(9月4日 記)

まだまだ続くコロナ禍(令和2年8月)

 今年のお盆はコロナ禍の中で、来客もなく寂しい休暇でした。どこへも行けず、都会の人は多く鳳来寺山、湯谷温泉に来てくれましたが、田舎に住んでいると、出てくところもなく、身の回りの整理で明け暮れました。

 最近、書店で面白い本を見つけました。「コロナのせいにしてみようーシャムズの話」という国松淳和先生の本です。コロナ禍のため心身に異常をきたした状態を表現しています。コロナを不安がり、それが問題で体調を崩してしまったとか、また社会への注文でPCRをどんどんやれ、ワクチンを早く作れ、と言って攻撃するなど、いろいろな人が出ています。それぞれの理由があるのでしょう。やはり基本は、今の体制下で自分を適合させていくのが一番だと思います。いろんなことを書き出してみて、考え直すのはいい機会になるようです。著者は内科の先生ですが、実にわかりやすく、対処していくかを示しています。読み終わると何かほっとします。

 コロナのために、いろいろ起きますが、反対に与えてくれたものも多いので、これを機会に自然界のいろんなことを勉強していくいい機会だと思っています。近くコロナが消えていくのを期待しながら。(8月17日 記)

読書三昧(令和2年7月)

 大変な日が続いています。コロナ、大雨と続き、休日は1日中家にいる日があるようになりました。4月以来音楽を聴く時間と、本を読む時間が増えました。家にある古い本棚を見ていたら、学生時代に買った太宰治全集がありました。全12巻で1冊560円。びっくりする安さです。実際部分読みをしただけで全部は読んでいませんでした。この時期に少しずつ読んでいこうかと思います。

 2日前に知人から、小川糸さんの「ライオンのおやつ」を勧められました。読み始めたら止まらず、一気に読んでしまいました。33歳の末期がんの女性がホスピスへ入り、亡くなっていくお話です。とても悲しいのですが、ちょっぴりユーモアもあり、涙あふれる場面もあり、実に面白い小説でした。まるで映画館で、映画を見ているような感動が得られました。すごい作家です。是非お読み下さい。勧めてくれた知人に感謝です。

 パンデミック、豪雨と大変ですが、この間にできることは沢山あるのですね。本を読んで、これだけ考えさせられ、感動させられるなんて、小説家とはすごい職業ですね。(7月17日 記)

コロナパンデミック対策(令和2年6月)

 コロナパンデミックの影響で、毎週週末にテニスをしていたのができなくなってしまいました。4月から5月の絶好の季節に外で運動できないのは、気分転換になりません。その時間を、読書と音楽鑑賞としました。音楽は昔からのアパとビートルズ、本は斉藤孝さん、岩田健太郎さん、池上彰さん、高橋源一郎さんとかなり好きな人が決まってきているので偏ってしまいます。コロナ関連で、テーマも同じようなものになってきました。

 ここ2か月で、特に感じた大事なことは、やはり相手を思いやる気持ちだと思います。世界中の人たちが同じことに苦しんでいます。そして今何を考えるべきか多くの人が格闘しています。音楽家も世界中の人たちが苦しんでいるのを少しでも和らげようとしてくれてます。批判することはたやすいのですが、国を思い人々を思いやる気持ちと、それぞれの立場で本当に頑張っているのですね。たくさんの方が亡くなられています。コロナに対するやり方が悪いのではなく、精一杯努力した結果で、今があるのです。お互いのことを思いやり、生きていきたいと思います。やはり人生って面白いと思って生きていけたらと思います。

 帚木蓬生先生が書いていました。「人生で大事なのは、は、はは、ははは」だそうです。つまり歯、母、笑いだというのです。こんな時にこそ、笑いは大事で、なくてはならないものですね。(6月8日 記)

食べまくら(令和2年5月)

 落語家の立川志らくさんの「食べまくら」を読ませていただきました。以前より時々テレビで見て、とても面白い人だと思ってましたが、やはり面白い上にとても人間的に素晴らしい人と思います。

 食べにまつわるエピソードを色々書いていますが、「うまいまずいは思い出で決まる」はそのとおりで、状況により美味しさは変わりますね。その時の精神状態、空腹状態、一緒に食べる人によってとても変わるので一概には言えません。行列ができるところが必ずしも美味しいとは限らないのと同じことです。特に談志師匠とのやり取りが面白い。これだけ好かれているのは、談志師匠の魅力なのでしょうね。北野武さんにも通じるところがありますが、だいぶ違うところも多いようです。志らくさんは、寅さんの全作品を全て網羅した落語を作ったそうですが、ぜひ聴いてみたいものです。

 読んで楽しく、ちょっぴり悲しくなるところもありました。立川談志さんの凄さ、面白さと、弟子の苦労がよくわかります。お勧めします。

うれしいお便り(令和2年4月)

 96歳にもかかわらず、一人で在宅療養されていましたが、歩行障害も強くなり娘さんのところで一緒に住むことになりました。1か月してからハガキが届きました。

「桜の花も終わり、落葉樹の新芽が目にとまるようになりました。○○の家の者、○○堂三代の先生方のお世話になりました。今、元気なのもそのお陰と改めてお礼申し上げます。長女の世話になりながら、○○荘のデイサービスに通いながら90余年を振り返っています。先生もご自愛なされて下さいませ。ありがとうございました。 かしこ ○○子」

 今、医療崩壊の危機が迫っています。医療人として、こういったお便りをいただけた幸せを感じている、今日この頃です。

新年度を迎えるにあたり(令和2年3月・4月)

 昨年4月から1年間、私の年の半分の年齢の若い先生と一緒に働くことができました。今月で退職されたのはとても残念でしたが、いろいろ考えさせられることがありました。

まず、同じように診察をするなかで、世代の違いを感じました。とにかくカルテの入力がとても速い。そしてインターネットなどを駆使して情報を集めることも得意です。だから紹介状を書くのも早いですし、患者さんを余分に待たせません。先生は学生時代にゲームをしながらパソコンに慣れ、タイピングが早くなったと言っていました。

今まで一人で診療してきましたが、やはり若い刺激は必要だと思いました。自分の今までの仕事内容、時間の使い方に、まだまだ改善するべきところが多くあることに気が付きました。現在は、以前のように一人で診察を行っていますが、これまでとは気持ちが違います。

昨年は、2診体制で診療をしていたおかげで、多くの本を読み、往診など有意義な時間を設けることができました。知識も体も十分に充電できたように感じます。私もまだまだこれからと思う今日この頃です。

世の中は今、新型コロナウイルスで大騒ぎです。大きな教訓と試練を与えられているような気がしますね。これ以上コロナが悪さをしないことを祈るばかりです。

老いつつ生きていくこと(令和2年2月)

 竹中星郎先生の「精神科医がみた老いの不安・抑うつと成熟」(朝日新聞出版)をたまたま書店で見つけ、面白く読ませていただきました。先生は老年精神医学を専門とされ、東京の洛風会病院で働いた後、開業医の手伝いをしながら研鑽され「老いを生きること」を主題として書かれた臨床覚書といった本です。

 まず病院と地域の開業医との連携を第一と考え努力されました。大病院で訪問診療部を整え、病院と地域の開業医との連携として入院患者を受け入れることを始めたのですが、反対意見もあり、先生が病院を辞められたあと医師会との関係はなくなったとのことです。先生の考え方は『病院の医師が地域の医師の上にいるのではない、主治医の判断を尊重して受け入れる、患者のえり好みをしたのでは病院と開業医との連携はなりたたない。ターミナルの患者とはそれまで在宅で家族、主治医が頑張ってきたということ、病院はそれを引き継ぐ役割があるのではないか。家族が介護に疲れて入院させた患者については病院がその後の施設を紹介する。病院と開業医とのことで考えうる思惑違いの入院は断るのではなくそれを通して学習していけばよいと応じるべきだ』との考えでやられたそうですが、先生が辞められたら病院側から開業医との関係は打ち切られたそうです。1990年代はこういった考えもあったでしょうが現在はかなり先生の意向に沿ったものとこの地域ではなっているようです。

 この本の中で面白かったのは「老い」の考え方です。老年期の考え方が後半生は社会的な制約や家族のしがらみから解放され、自分らしさを開いていく時期であると。下降線をたどりながらも、自由な精神性をひろげることができる。これは老いの豊饒化をもたらす。人生の前半生が縦軸方向の上昇であるのに対して、後半生は水平方向の広がりであるとのべています。つまり、残り少ない時間をじぶんのために贅沢に生きることが重要だと言っています。竹中先生は78歳でがんの為に昨年亡くなられましたが、すごく充実した人生を過ごされた方と考えます。

 年を取ることが悲しいのではなく、後半どうやって生きていくのか考えることはとても楽しいことのように思われました。精神科医でほんとうに臨床を楽しんで、認知症についても、生活を通して考えていくことが最も大事であるとみとめています。老いつつ生きていくことは、違った考えも生まれてくる可能性もあることを気づかせてくれます。

ゆく年くる年 コラム(令和1年12月~令和2年1月)

坂東真理子さんの書いた「70歳のたしなみ」はとても参考になります。私も11月で70歳となりました。本の中で、たしなみとして10項目を挙げていて、まず機嫌よく過ごすように努める。年齢を言い訳にしない。まだまだ成長の余地があると考える。今まで受けた恩を思い出し、感謝をわすれない。できるときにできる範囲で人の世話をする。周囲のひと、若い人のよいところをみつけてほめる。教養と教育は自分で作る。人は人、自分の人生は否定しない。つらい経験があったから今がある。今こそおしゃれ。健康第一もほどほどに。孤独を楽しむ。以上を上げています。当たり前と言えば当たり前ですが、なかなか実行できません。

ただ年をとるということは、決して悲しいことではないようです。以前はできたことが、できなくなることは確かに悲しいことですが、そのほかにいいことがたくさんあるので楽しいように思います。以前、取り上げた「死に方の質」もそうでしたが、今をいかに楽しく生きるかでしょう。今年も残りわずかですが、今年もいろいろありましたが、来年もさらに楽しいことを増やして頑張りたいですね。(12月 記)

 夏川草介先生の最新作「勿忘草のさく町でー安曇野診療記」が角川書店から出版されました。今回は登場人物が変わり、研修医と看護婦さんとの物語です。テーマとして、老人医療、医療ミス問題、過重労働問題が取り上げられていて、また花に関するテーマが多く楽しめます。

 やはり医療は一人ではできませんので、多職種とどのように連携して医療に取り組むべきか、問題は多いですね。ストーリーのなかには、心が休まることもおおく、読んだあとがとてもすっきりしてきますね。暗く重い話題も、すっきりと終える。これも著者の人間性でしょう。実際、私たちの日常にあふれている事件を、うまく表現しています。医療の現場は今こう言ったことが問題になってるのだと、よくわかっていただける内容だと思います。一般の方に読んでもらえたらうれしい本です。(1月 記)

患者さんお勧めの一冊(令和 1年11月)

患者さんから勧めで、宮口幸冶先生の書かれた「ケーキのきれない非行少年たち」(新潮新書)いう本を読んでみましたら実に面白い本でしたので、ご紹介します。

非行少年の実情がよくわかり、問題点が浮き彫りにされています。私は仕事上、家族からいろいろと相談を受けますが、まだ相談できる方は幸いです。相談に来れない方、来ない方が多くの問題を持っています。

どうすれば非行を防げるのか。非行化した少年に対してどのような教育が効果あるのか。同じようなリスクを持っている子供たちにどのような教育ができるのか。加害少年への怒りを彼らへの同情にかえること、それによって少年非行の被害者を減らすこと、犯罪者を納税者に変えて社会を豊かにすることを目的に書かれています。

子供にとって一番大事なことは社会性であること、これらは小学校2年までで形成されてしまうようです。教育で一番大事なのは、社会性を身につけることなのです。これらが教育現場で行われる毎日5分間行う認知機能トレーニングで養われると述べています。

教育者のみならず一般の人たちに是非読んでいただけたら、日本の社会も少しずつ変わっていくのでは、と思われるほど衝撃的なおもしろい本でした。

来年の医師会の講演会に是非とも呼びたくて手紙を書きましたが、忙しくて時間が取れないそうです。残念でした。

吉備路の旅 ~ 仲間とともに ~(令和 1年10月)

毎年1回、学生時代の柔道クラブ活動仲間と旅(12日)をしています。今年は、「吉備路の旅」と銘打って岡山、倉敷へ行ってきました。家を朝6時半に出て新幹線で岡山へ、11時には到着しました。日本3大名園の一つである後楽園は、築山の中に小川が随所に見られ、茶室もあり、岡山藩の繁栄振りが随所に見られました。岡山城もすぐ隣にあり、のどかな雰囲気でした。

翌日は倉敷へ山陽本線で移動し、大原美術館と、アイビーパークを散策しました。大原美術館は印象派から、現代アートまで幅広く、古代中国の陶器なども集められていました。とても見ごたえのある絵が多く、私立の美術館としてはとても豪華です。

楽しい仲間が集まれば、宴が始まります。みんな健康で学生時代のコンパのようになりました。メンバーの業種も様々で、他業種交流のようでもあり、これもまた面白いものです。「荒野の7人」と名付けた、この学生時代からのメンバーは、お互いに自然体で過ごせますから本当に疲れません。別れた後の寂しくも爽やかな気分はなんともいえません。学生時代に苦楽を共にし、汗を流した仲間だからでしょうね。また来年もいけるかどうかわかりませんが、楽しみにして日々の診療に励みたいと思います。

講演会より(令和 1年9月)

914日に「死に方の質」という演題で、名古屋市立大学医学部客員教授であられる宮治眞先生の講演会が新城文化会館で行われました。市民の声をききたいという教授の希望で講演の後、質問の時間を長くとり、最後にそれを踏まえてまとめるという興味深い講演の流れでした。

市民からは「家族に保健施設へ入ってもらったが、はたしてよかったのだろうか?」「主治医をかわりたいが?」など様々な意見が出ました。やはり医療者と患者の思いとの間には、まだまだ隔たりがあり、今後は一層その差をなくしていくことが重要だと思われます。

患者は、自身と向き合いながら質問を整理し、医療者はそれを受け止めることで対話を重ねる、その姿勢によって少しずつ改善していくのではないと思います。

「死に方の質」に正解はありませんが、問題は生き方にあるように思います。絶えず充実して生きていくことが、大切なのではないでしょうか。最後を迎えるときに出てくるであろう、走馬灯の景色が美しいものなのか、あるいは別のものなのかは最後の最後までわかりません。とにかく今を大事に生きていくことですね。

先生の講演を聞きながらふと、志半ばで殺されてしまった、ミュージシャンを思いだしました。私達は、後悔がないようにこれからの日々と向き合いたいですね。

日本の文化力(令和 1年8月)

国文学者の中西進先生が書いた「令(うるわ)しく平和に生きるために」という新書は、とてもわかりやすく日本人の文化力を説明しています。

まず第1は尊敬する力だといいます。幕末に開国してから日本が外国の植民地にならずに、明治維新後、近代化を進められたのは異文化を尊敬する力をもっているためだといわれます。近代化が進む以前は、中国文化の周辺にいたため、自らを下に置き流れてくる価値を受け止めてきました。他者を受け入れ、学び、自らが成長してきたのです。

第2は調和力だそうです。他国の文化を取り入れながらも自国の文化を大事にしてきました。決して同化するのではなく異文化と調和してきたのです。

第3は象徴する力です。言葉や物では表わせないような事象や心象を、それを連想させるような言葉や具体的な事物で置き換えて表わすことで、能や俳句に代表される表現方法だといいます。

これらを古代から持ち続けている国は世界的にもめずらしく、これが日本の誇れる文化力だそうです。中西進先生は、やはり日本は「和を以て貴しと為す」という考えで進んでもらいたいと述べておられました。現代において世界平和のために日本が果たすべき役割は何かを考える時が来ているのではないでしょうか。

ヤマザキマリという漫画家(令和 1年7月)

漫画家のヤマザキマリさんは、とても面白く知的な方です。最近、彼女の著書を3冊ほど読みました。十代でイタリアに留学、二十代でシングルマザーとなり、1996年イタリア暮らしを綴ったエッセー漫画で漫画家デビューをし、2010年イタリアを題材とした漫画「テルマエ・ロマエ」がヒットし、マンガ大賞2010受賞。後に映画化もされました。その後も多くの作品を執筆されています。

彼女は勉強もよくしており、読書量も半端でなく、安部公房、三島由紀夫など十代の頃から難解な小説に取り組んでおり、スケールの大きな漫画家です。

彼女の生き方は、細かいことは気にかけず、考え方には筋が通っていて、困難にもめげません。知識欲が旺盛なためか、漫画家、大学教授、料理講師など様々な職を経験しておられます。現在は年下のイタリア人と結婚し息子さんを立派に育てていらっしゃいます。

彼女の本を読んでいると勇気が湧いてきます。そのなかで私がお勧めする一冊は、「国境のない生き方」(小学館新書)です。世界中を飛び回り、いろいろな人と知り合う国境を越えた生き方に共感を覚えます。まさに彼女の生きざまがよくわかる本です。是非、読んでいただきたい一冊です。

外国の方のコラムより(令和 1年6月)

平成が終わり令和を迎えてひと月になりますね。先日の新聞に掲載されていたコラム ※がとても良いお話で印象に残りました。ジェフリー・アイリッシュさんが、数年前に美智子様主催の英語朗読会に参加された際のお話です。20人ほどの小さな会で、外国の方は2人だけだったそうです。朗読会では、美智子様にお会いし、朗読を拝聴し、美智子様の人としての質の高さに感動したそうです。コラムでは次のように書いています。

「聡明で謙虚で、純粋にあたたかく、好奇心に満ちており、周りの人々をとてもあたたかな気持ちにさせてくれる力があります。そして、日本という国の紹介者、親善大使として最もふさわしい方です。」

これは、英語で書かれたコラムですが、その言葉の選択と表現力のすばらしさに感動しました。

 アイリッシュさんは、大学教授・作家・翻訳家といった多くの顔をもつアメリカ人です。日本での生活は20年におよび、日本人の奥さんと鹿児島で生活されており、毎月「薩摩便り」を新聞に執筆されています。とても感性の豊かな方で、忘れられつつある日本の良いところを紹介してくださいます。外国の方だからこそ気づく日本のよさを、伝えてくれる彼のコラムは、私の楽しみです。

1 英語学習紙 毎日ウィークリー Letter From Satsuma

美術館めぐり(令和 1年5月)

今年のゴールデンウィークは旅行に行く機会に恵まれ、岡山・倉敷・直島へ旅行しました。主に美術館めぐりが目的の旅です。倉敷の大原美術館ではたくさんの世界的な名画を鑑賞しました。昭和初期に建てられた、日本でも有数の私設美術館で、2時間以上かけて堪能しました。

翌日は、瀬戸内海にある小さな島、直島と豊島(てしま)へ足を運びました。直島では地中美術館、豊島では横尾館を散策しました。2つの島は、島全体が美術館といった感じで、島の様々な場所に作品が展示されており、たいへん楽しめました。ゴールデンウィークのにぎやかさに翻弄されながらも、日本の良さと、外国のすばらしさを感じられる美術館めぐりの旅になりました。

今回の旅で、びっくりしたことは、日本を旅行する外国人の多さでした。インターネットなどの発達により、代表的な観光地以外の日本の魅力も発信されているのですね。

興味を持たれた方は、ぜひ足を運んでみてくださいね。

スポーツ選手の言葉(平成31年4月)

メジャーリーガーのイチロー選手が引退したことには、とてもおどろきました。まだまだやれると思っていましたので、最後の記者会見はとても印象深いものでした。

彼の努力は並大抵ではなかったでしょうが、苦労したとか、耐え抜いたといった言葉はありませんでした。恵まれた環境の中で仕事ができたことへの感謝や、やり遂げたという満足感は、本当に野球を愛したプロだからなのでしょう。やはり、どのような職業であっても「感謝」の気持ちが大切ですね。自分本位の傾向がある現代で、相手への思いやりを忘れてはならないと改めて感じました。

同じようにスポーツに関連して、大阪なおみ選手、大谷翔平選手、錦織圭選手らが、優勝したとき、新人王をもらったとき、ブリスベンオープンで優勝したときの言葉が比較された記事を目にしました。三者三様で面白い比較でしたが、これらの若いスポーツ選手がイチロー選手のように成熟した選手となった際にどのような会見をするのか楽しみです。

おすすめの本(平成31年3月)

最近読んだ本で、面白いと思ったものを紹介します。「新章 神様のカルテ」と「3千円の使い方」です。

「新章 神様のカルテ」は夏川草介さんの第5作目の作品です。映画化された前作は、地域病院で働く内科医の物語でしたが、この作品は主人公が大学病院へ戻って医療と研究を両立させながら、成長してゆく物語です。自身の大学病院時代が思い出され、懐かしく、自分を見つめ直す機会にもなりました。

もう一冊は、「3千円の使い方」で、これもまた面白く、一気に読んでしまいました。ストーリーの展開が巧みで、夢中になって読んでしまいます。お金の節約は人が幸せになるためのもので、節約すること自体が目的ではないことを気づかせてくれます。

読書は様々な感情を抱かせてくれるとともに、人生の面白さを教えてくれますね。読後は「よしがんばるぞ」とう思いでリフレッシュできます。

まちなか映画祭に行きました(平成31年2月)

先日、新城市で開催された「まちなか映画祭2019」に行ってきました。私が足を運んだ日には300人程の方がお見えになっていたようです。文化会館を会場に映画の上映が行われ「君よ憤怒の川を渉れ」という40年以上前に製作された映画を鑑賞しました。

主演は高倉健、共演は中野良子、原田芳雄というキャスティングです。予想外のストーリー展開が続くアクション映画で、昔の映画ですがとても面白かったです。やはり高倉健さんの演技や人柄からにじみ出てくる独特の雰囲気は他の役者が真似できるものではないですね。この映画は、私が普段観る映画とはジャンルが異なるのですが、娯楽映画もよいものだと思いました。先月も映画を見に行く機会があり、2ヶ月続けて映画鑑賞できる機会はめずらしく、とてもリフレッシュできました。鑑賞する2時間半の間、作品に没頭できることがよいのかもしれません。

まちなか映画祭という面白い企画を立案・運営されている実行委員のみなさんに感謝し、さわやかな気持ちで家路につきました。     

明けまして、おめでとうございます(平成31年1月)

みなさま、明けましておめでとうございます。

昨年暮れの天皇陛下のお言葉に、とても感動しました。ご高齢での公務はとても大変であったのではないかと思います。そして美智子様への温かなお言葉もとても印象に残りました。

私は、年末年始の休みを利用して、映画を観に行きました。世界中で大ヒットした「ボヘミアンラプソディー」です。私はビートルズ世代で、クイーンの曲はあまり聞いたことがなかったのですが、映画を観て、素晴らしいグループであったのだと感激しました。イギリスで一番人気のある曲がビートルズの「ヘイジュード」をぬいて「ボヘミアンラプソディー」であることを映画を観て納得できたように思います。

一年を振り返って(平成30年12月)

今年一年いろいろなことがありましたが、患者様との別れが心に残っています。往診に伺っていた患者様の看取りをしたことや、病棟の転換により他院へ転院いただくこととなった方など様々です。いつも感じていることではありますが、地域医療は多くの関係者の方々の協力により成り立っていることを、あらためて実感した一年でした。


また、病棟を介護施設に転換することで、時間にゆとりが持てるようになりました。自身の健康に気を配り、医師としてこれからも活躍するとともに、今後の人生をどのように充実させていくのか興味は尽きません。加齢とともに衰えていくものですが、その中でまた輝くものがあるように思います。年を取るのも悪くないと思うようになった今日この頃です。

クラス会への参加(平成30年11月)

  先日、大学時代のクラス会へ参加してきました。今回のクラス会は、亡くなった同級生をしのぶ会でした。彼は精神科の医師で、肝臓疾患で亡くなりました。クラス会の幹事より彼の著書を頂いたので、早速読ませていただきました。


「統合失調症治療の再検討(評論社)」という本で、最初に「わたしは昔から自ら行っている精神医療に違和感をもっていた。精神科医のみならず、看護師、精神保健福祉士、作業療法士、臨床心理士など、精神医療に携わる者は皆、自分の医療行為に疑問をもったことがあるのではあるまいか。」という言葉で始まり、精神疾患の治療についての難しさが述べられていました。


いろいろな治療法について検討されていますが、カウンセリングについては面白いことが書かれていました。精神科医は、カウンセリングを療法士に任せて自分ではしていません。有能なカウンセラーは「赤提灯つまり居酒屋の親父」であるとのことでした。なじみの客の話を聴いてあげて、アドバイスするといったようなことを毎日繰り返しているのですから、確かにそうかもしれません。私は、内科医ですので、精神科医とは違いますが、患者さんの馴染みとなり、診察の際に、ひと息つかせてあげることができるのは同じだと思います。


彼も健康であれば、日々葛藤しながらも、まだまだ仕事ができただろうと思います。彼の無念さを思いつつ、ご冥福をお祈りします。        

災害への対策(平成30年10月)

台風24号は、各地に様々な被害を与えましたが、当院も例にもれず3日間の停電を経験しました。小型の発電機でパソコンを起動させ電子カルテを開き、非常用のランタンや懐中電灯で明かりを確保し、なんとか診療を続けることができました。

2階や3階では貯水槽のポンプが起動しないため断水となり、職員が1階まで水を汲みに行かなければなりませんでしたし、冷蔵庫も使えず食料や医薬品の管理も大きな問題となったようです。

3日間も続く停電は、これまで経験がありません。とても不自由だったと同時に精神的にも疲労が大きかったように感じます。これまでも、災害に備えてきましたが、今回の経験で問題点や改善すべきことが多く見つかりましたので、今後に備え十分な備えをしたいと思います。

病棟についてのおしらせ(平成30年9月)

平成30年度診療報酬・介護報酬改定にて、介護療養型病棟の廃止が決定されたことを受け、当院2階の病棟を現在3階にて運営するグループホームの施設へ転換することを決定いたしました。

サービス提供の開始時期は来春を予定しており、11月より改修工事を開始しいたします。なお、詳細につきましては、追ってお知らせいたします。

この度の決定により、多方面の方々にご迷惑をおかけいたしますが、診療所ならびに介護保険施設として地域に必要とされるよう、今後も努力してまいりますので、変わらぬご理解とご協力をよろしくお願い申し上げます。

訪問診療にとりくむなかで(平成30年8月)

現在、地域医療として在宅医療に取り組んでいます。外来診療の合間と、木曜日の午後に訪問診療の時間を設け約20名の患者さんの自宅やグループホームへ伺っています。

私の父は、午後は往診専門で午後3時~8時頃まで毎日往診に出ていました。その姿を見ていましたので、私は故郷へ帰り診療所を継いだ後も、往診をすることに抵抗は無く、むしろ楽しみとなっています。たしかに十分な治療が施せない場合もありますが、訪問看護師やケアマネージャーさんの協力を得て、在宅での療養を希望する患者さんやその家族の助けとなり、地域の医療に貢献したいと日々考えています。

先日、訪問診療に伺っている患者さんより本をいただきました。その本は、患者さんが生まれてから現在までのことを書かれた「私の生涯」という自叙伝でした。拝読させていただいた際には、波乱万丈の生涯において、人を非難しないこと、恨み節がないこと、生涯を通して信念を貫き責任を持って生きてきた姿に感心し、清々しい気持ちになりました。

素敵な自叙伝を書き、ご夫婦でそれについて話し合えるということが、この患者さんにとってかけがえのない時間なのだとわかり、ほほえましく感じました。

私もこういった自分史を書いてみたいものだと思います。


介護に関する、おすすめ書籍(平成30年7月)

今回は、最近読んだ本のなかから、興味深かったものを2冊紹介します。

1冊目は、「看る力 アガワ流介護入門 (文春新書)」という本です。阿川佐和子さんと高齢者医療の第一人者である、よみうりランド慶友病院会長の大塚宣夫先生が、理想の介護法、理想の老後を語り合う対談形式の本です。阿川さんは、作家、エッセイスト、キャスター、さらには女優として幅広いジャンルで活躍なさっていますが、私生活では、父・阿川弘之氏の最晩年に病院に付き添い、いまも認知症のはじまった母の介護を続けていらっしゃいます。そこで得た教訓についてもこの本で語っておられます。

老後に向けての準備として、「定年後の夫は新入社員と思え」男性は炊事洗濯など、ひとり暮らしができるように訓練しておくことが重要です。また「恋は長寿の万能薬」ともおっしゃっています。おしゃれをすることや、恋をすることは若返る秘訣かもしれませんね。患者様のなかにも、一人住まいをなさっている方はたくさんおられますが、みんなさんとても頑張っておられます。

もう1冊は、「モア あるデンマーク高齢者の生き方(ワールドプランニング社)」という本です。デンマーク人と結婚した日本人妻が、義母の生き方について書いた本です。デンマークの方が大切にしていることは、最期まで自分の生き方を自分で決めることだそうです。デンマークの女性は自立しており、男女の分け隔てなく女性も自分の意志と力で家庭を築き、社会に貢献し、自分を磨き、自分の人生の総まとめとして、老後を全うするのだそうです。老後は、家族が面倒をみてくれるという日本的な考えとは異なり、福祉の援助を受けながら老後を全うする国なのだそうです。

日本人が考える家族とは、少し異なる社会なのだと感じました。どちらにも良いところ、悪いところは、あるのだと思いますが、とても考えさせられた1冊でした。

市民公開講座を拝聴して(平成30年6月)

先日、「糖尿病と認知症の予防」というテーマで、医師会主催の市民講座が開催されました。京都の先生をお招きし、2時間にわたり講演いただいたのですが、隣席した方とゲームをするなど、笑い声の絶えない愉快な講演で、とても楽しく拝聴し勉強になりました。

講演いただいた先生は、著書も多く、私がとても尊敬している方で、以前より新城市で講演いただきたいと考えておりました。1年ほど前に手紙を書いたのですが、ご多忙な先生ですので、今回やっと講演が実現した次第です。

講演には話し方や、間の取り方が大事なのですね。私も講演の機会をいただく事がありますが、同じようにはとてもできません。学ぶこと、共感すること、楽しむこと、多くの収穫を得た講演会でした。

先生は、現在でも肥満についての研究をされながら、講演会に飛び回っていらっしゃるようです。先生の研究テーマである肥満に関して、

ここで一句 

「 腹いっぱい、この気持ちが諸悪の根源 」 

 直太郎 こころの俳句

観劇(平成30年5月)

5月の初め、ゴールデンウィークを利用して、名古屋へ演劇を観に行きました。「沈香 名古屋空襲 焔の記憶」という舞台で、「戦争を語り継ぐ演劇公演 第5弾」として、東文化小劇場という300人程が入る小ホールで公演されました。

二次世界大戦中の学徒動員で名古屋の航空機製作工場に動員された若者とその家族を中心に展開され、戦時中の国民の意識の異常性、生き抜くことの大変さをまざまざと見せつけてくれる舞台でした。有名な俳優の出演はありませんでしたが、名古屋で活躍する演劇人の作品への思いや、情熱を強く感じました。なかでも、企画・構成から出演・演出までをこなしていた御年80歳を超える伊藤敬さんには驚かされました。

どのような時代であっても、人間の優しさや、品格は大切なものであり、失ってはならないのだと思います。時を重ねても過去の出来事を語り継いでいくことは大事なことなのですね。

平和を願う(平成30年4月)

 先日、97歳の元日本兵、「今、語るべきことを語る ニューギニア戦線での体験 」という講演を聴きに行きました。講演は対談方式で行われ、貴重な戦争の体験を聴くことができ、充実した時間を過ごしました。戦争体験を語るのは大変なことだと感じましたが、後世に語り継ぐことの大切さも実感しました。

 今回の講演を聴いて、少し前に読んだ「不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか」という本を思い出しました。194411月の第一回の特攻作戦から、9回出撃し「必ず死んでこい!」と言われながら、命令に背き、生還を果たした特攻兵の話です。特攻という方法を選ばなければならないほど、悪化した戦況下での兵士や家族の苦悩や政府による報道規制・言論統制など戦時中の異常な状況がよくわかる書籍です。著者は作家であり、脚本家の 鴻上尚史 氏です。興味を持たれた方はぜひ読んでみてはいかがでしょうか。

 世界情勢はめまぐるしく変わりますが、日本はいつまでも「不戦の国」であって欲しいと強く願います。


息子からのメール(平成30年3月)

普段、あまり連絡をしてこない息子から、メールが届きました。久しぶりだなと思いながらメールを開くと、私に本を勧める内容でした。私は、早速、本屋へ出向き、息子に勧められた「イン・ザ・プール」奥田英朗 著 を購入し読んでみました。

 伊良部一郎という、とても変わった精神科医が登場し、ユーモアのある風変わりな治療によって、病の苦しみを何気なく、明るく解決してゆくといった内容の短編が詰まった本です。本当に面白い内容で私も誰かに勧めたいと感じる本でした。このシリーズは3巻あるのですが、ぜひ3巻続けて読んでみていただきたいです。

 今回、三男(35歳)が本を勧めてくれたこと、それを読んで面白いと同じ本に共感できたことが、本当にうれしかったです。やはり親子は感性が似ているのだなと実感しました。考えてみれば、音楽が好きなこと、そのジャンルも似ていることなど多くの共通点があるのです。年を経ることで、親子の関係も熟成していくように感じました。

 最近は、年を取るということは、楽しいことも多いように思えて「百歳の人生も悪くない」と思える今日この頃です。